Montag, 28. Juni 2010

インドネシア、そしてインドビザ

スラウェシからバリへと友人に逢いに。。。

バリは10年位前に行ったことがあって、いつかはまた行きたいと思っていたところ。
マッサージの仕事をしてからはバリニーズマッサージも学んだので、現地でも学べたらなーとずっと考えていたけれど、実際にバリに行ってみると現在はものすごい観光地で、どこへ行っても観光客だらけ。。。もちろん観光客向けのマッサージ学校もたくさんできていた。
はぁ~残念。全てが同じではないだろうけど、マッサージを受けるにしてもちゃんとマッサージを学んだ人に当たるのはかなり低い確率。それでも価格は安いお店を探せば日本の何倍も安いから、お客さんだってたくさん★
散々悩んだ末、学校はもちろん現地でもう一度受けたかったクリームバスさえも受けなかった。。。
バリは同じインドネシアでも一風変わった島にも見える。
ヒンドゥー教の人が多く、お寺や民家の作りもすごく興味深い。。。私にとってはなんだか沖縄の家が重なって見えた。。。。なんでだろう??
観光客だらけの道から逃げ出して、裏路地に入ると民家やお寺からお香の香りがして、なんだかホッとすることもたくさんあった☆

再会の相手は、オーストラリアで自転車を走らせていたときに出会ったJenz(ドイツ人)&Zuzka(チェコ人)☆
彼らはニュージーランドからずっと自転車で走っている、とってもパワフルなカップル!
ガブと私は原付自転車を借りて、彼らが自転車で走っているところまで行き久しぶりの再会☆
久しぶりといっても2~3カ月位しか経っていなかったので、あまり変わってもいなく相変わらず彼らはモリモリと自転車をこいでいた。。。
バリでは4人でのんびりと一緒にワールドカップを見たりしながら楽しい時間を過ごし、ガブと私は次の旅の目的地であるインドビザ申請のためにインドネシアの首都ジャカルタへ。。。

ジャカルタではカウチサーファーのAbu(アブ)の家に一週間も滞在させてもらい、インド大使館(結局、ビザは大使館の情報ミスと申請期間が長すぎて申請できなかったけど)に行ったり、Abuや彼の友人たちと山登りに行ったりとあっという間に一週間が過ぎた。
ということで、私たちはインド行きの日程を変更せざる追えず、結局マレーシアのクアラルンプールに戻りインド大使館へ。。。
そして現在マレーシアの一番南Johor Bahruという場所で以前友人Sven(一緒に自転車の旅をしていた)も滞在したカウチサーファーの家にお世話になっていま~す!!
彼女の家にはSvenが置いていった自転車が未だにあって、スイスにいるSvenに彼の自転車と一緒にとった写真を送ってみた。。。Svenもまた旅に出たいんだろうな~スイスに帰ったばっかりだけど。。。
昨日はバスに一時間ほど乗って、シンガポールへ一日観光して来た。お隣の国なのに、何でこんなに物価が違うんだろうというほど、高かった!!
シンガポールはきれい過ぎる。。。私の勝手な意見だけど、なんだか人間が住んでいるところではなくロボットが住んでいるのではと。。。でも全ての建物が人間の手で作り上げられたものなんだけどね。。。一日観光だけではその国を知ることはできないだろうけど、数時間で私が勝手に感じたこと。きっと、人間が暮らしていくのには便利な場所なんだろうな~と。

まだビザ申請中だけど、明日はクアラルンプールに戻って待機。7月2日にはインド モンバイ行きの飛行機に乗っているはずだけど。。。

Donnerstag, 24. Juni 2010

Tana Toraja

宮崎駿の世界。。。ここTana Toraja(タナトラージャ)ではなんだか懐かしいような、そして何故だか宮崎駿の映画が頭をめぐった☆

タナトラージャにはハイキング目的で来たのだけど、私たちが到着してすぐに何人かの地元の男の人に声をかけられ、明日はここタナトラージャで有名な葬式があるからガイドをしてあげると。。。今でもここタナトラージャには昔からの文化や儀式が残っているようで、私もガブも葬式が有名だとは聞いていたけど、到着してすぐに声をかけられたので二日間の船旅でぐったりしていた私たちは、とにかく早く休みたく、葬式よりもハイキング情報がほしい。。。ということでガイドはお断り!すると、ハイキングガイドをつけなければ、彼らの言語を話せなければ道を見つけるのも大変だし、危険だという。
とにかくガイドはお断りして、自分たちでどうにかハイキング情報を入手しようと☆
翌日は地図とはいえないけど誰かの手作りのような村の名前が書かれた紙を入手し、片言のインドネシア語を覚え、レストランはもちろんないというので水と食料を購入。宿ももちろんほとんどの村にはないので、テントを張るにしても地元の人の家に泊まらせてもらうにも、水を分けてもらうにも、ここタナトラージャでは手土産を持って行くのが通常うのようで、(誰かの家を訪ねるのにも、手土産、もしくはお金を渡す習慣みたい)私たちも手土産用にお菓子を購入し、三日間ハイキングへと。。。

町から離れて一歩村に入ると、そこは別世界。。。
お米で有名なここタナトラージャには田んぼや水牛、そしてコーヒーも有名でコーヒー豆の木がたくさん!何よりもTongkonan(トンコナン)という米蔵や家として利用している独特の形をした建物が印象的で、すべての家に大小はさまざまだけれど必ずこのトンコナンがある。
このトンコナンは、お墓としても利用している。

ハイキング初日は山の上までどうにかたどり着き、夜中は雷と大雨に見舞われてテントの中でドキドキしていたけど、翌日は晴れ!しかし寝所がなかなか見つからず、日が暮れる寸前にどうにか一軒のお家に寝かせてもらえることに!!!
ここタナトラージャは決してお金持ちではないのだけれど、食料がとても豊かで生きていくのには困らず、のんびりと暮らしていて心も豊かな人たちがたくさんいるように感じた。お米を耕すのにも全て手での作業。コーヒー豆も豊富で、今までに飲んだコーヒーの中で一番味わったような気がする★挽いたばかりのコーヒー豆なんて本当に贅沢!!!

私たちが寝かせてもらったお家には年配のお母さんがいて、70歳くらいの彼女も毎日コーヒー豆や家畜の豚用の野菜を山にとりに行ったりと、とても元気!村を離れた娘を思い出したのか、翌日お別れをするときには私を娘のように抱きしめてくれた。

3日間のハイキングをたっぷり堪能して、町へ戻ると船の中で出会ったElni(エルニ)から電話があり、彼女の友達(船も一緒だった)のお爺さんのお葬式が翌日あるので一緒に行こうと★☆★ラッキーなんて失礼な言い方だけれど、この伝統的な儀式で行われる葬式が見られることはめったにない!!そしてここタナトラージャでは人間はあの世から来てあの世に戻る、と信じていて葬式は悲しいことではなく、亡くなった人があの世に帰って行く儀式であると。
儀式には全ての人が参加することができ、大きな儀式にはたくさんの水牛や豚が奉られ、儀式の踊りが披露され食事やコーヒーまでも持成される。(葬儀にももちろん大小があるよう)
奉られた水牛や豚は私たちの目の前で斬られ、全ての肉が料理され持成される。

私たちはElni達のおかげで、親族の席に参加させてもらいタナトラージャの葬式を十分に見させてもらった。
通常葬儀は4日間行われるようで、葬儀に奉られる水牛や豚はかなりの高額で、また亡くなってから葬儀が行われるまで葬儀金を集めるのに通常は5年~10年かかるのが当たり前だという。ということは、亡くなった人は???マミーです★亡くなった人の体を腐敗から防ぐのに注射を打ち、お棺に入れて自宅で保管するとのこと。私たちが参加した葬儀のおじいさんは亡くなってからまだ6ヶ月しか経っていなく、早い葬儀が行うことができたと。。。
お爺さんはやっと天国に帰って行けたんだろうな。。。

Tana Torajaは私にとってこれまでの旅でもとっても印象強いところ。もっともっと彼らの文化を知りたかったけど、次回の楽しみに残して、オーストラリアで出会った(自転車の旅をしているJens&Zuzka)友人に会うためにバリへ。。。

Dienstag, 22. Juni 2010

人の価値、恐るべし船旅

7000以上もの島々からなるフィリピン。
ガブと私は片手で数えられるくらいの島にしか行かれなかったけど、地元の人たちも利用している交通手段(ジプニー、バス、船)を利用したので彼らの生活の一部も少しは目にすることができた。

途中で出会ったフランス人のREMI(レミ)と一緒に海沿いに建つ家の庭にテントを張らせてもらい、一泊!朝三人で海を眺めながら話をしていると、一人の年配の女性が私に近づいてきて私の腕をつかみ何か言っている。。。初めは何を言っているのかわからなかったけれど、彼女の後ろにいる子供たちの中の15-16歳くらいの女の子を指して『一人男を譲ってくれ!!この子をもらってくれ!』と。。。
REMIは数日前にも12歳の娘を差し出されたと。

私にとって自分の娘を差し出すなんて。。。なんて思っているけど、それは私には着る服があり、食べ物にも困らず寝る場所もあるからなんだろう。。。娘を差し出す母親も以前、自分の母親にそうされてきたのかもしれない★自分の家族を食べさせるために。
もちろんフィリピンだけではなく、未だにいろいろな国で人の売買が行われているのだろうけど、人の人生を売り買いすること自体、なんて切ないことだろう。。。

ダイビング王国のフィリピンではダイビングには行かず、スノーケリングを満喫☆首都のマニラでは貧富の差を目のあたりにし、考えさせられることが多かった。。。
交通量がものすごく、排気ガスだらけのマニラでは喉を痛めてしまい、フィリピンからコタキナバル(マレーシアのボルネオ)行きの飛行機の中ではついに6年ぶりの高熱が。。。
コタキナバルに到着したときにはヘロヘロでバックパックをどうにか背負い、カウチサーファーの家に。有難いことに一部屋を私とガブに与えてくれて、どうにか翌々日には体調も回復!!

コタキナバルでは有名なキナバル山4095mの国立公園へ★毎日暑くて汗だくだった私たちは久々に山に来て涼しむことができ、体の調子も戻りハイキングを満喫!
ここマレーシアのボルネオ島にも世界で有名なダイビングスポットがあるということで、ガブと私は7年前にオーストラリアで取ったダイビングのアドバンスライセンスを無駄にしない為に、ここで潜れないだろうかと。。。
有名なシパダ島はダイビングのお値段もさすがに観光客向け。。。高い!!そして2004年からはシパダン島への入島制限が始まり、一日120人までと。毎日たくさんのダイバー達がこの入島許可が取れるまで、何日も時には一ヶ月もここシパダン島で潜るために待っているという。。。
私たちもダイブショップを何件か回ったけど、次の入島許可は一週間後であったり、二週間後。。。
しかし最後の一軒で二日後にキャンセルが出たので、二人空きがあるという。。。
ガブと私は6~7年も潜っていなかったので不安もあり、それよりも何よりも私たちにとっては値段が問題!!私たちのこの旅でエンターテイメントに一度もお金を費やさずにきたので、いっぱい悩んだ末このチャンスを逃したら、きっと二度とシパダンでは潜れないかもしれない。。。ということで大奮発!!!!
大きな海がめや小さなサメ、名前は分からないけれど見たこともない色んな色の魚がた~くさん!!

別世界を楽しんだ後は、インドネシア行き(カリマンタン→スラウェシ)の船に。。。二日間の船旅!この船がまたまたすごい!!何がすごいって、船には1500~2000人、そしてものすごい量の荷物に鶏やチャボも。船が出港する8時間前にはすでに船はいっぱい。。。どこに行けばいいのでしょうか。。。??二日間もどこで過ごすの??寝る場所なんてなく、陣取りはいつ行われたのかは分からないけれど私たちの場所なんてまったくない!!とりあえず私たちも船にある小さなレストラン(カップヌードルと飲み物しか置いていない)で待機。

船は以前日本で使用していたもののようで、食券販売機やビールの自動販売機が置いてあり、(現在は使っていないけど)食券の中には焼きそばやラーメン、日本酒があり、何度も生つばゴックン。。。
日本人たちがこの船を使用していた時はどんな感じだったのだろう???トイレも清潔ではなく、順番待ちをしている私たちの前で当たり前のように床で用を足す若い女性も!!そんなトイレで運命の出会いが!!
船で出航を待つこと6時間、私がトイレで順番待ちをしていると一人の女性が入ってきたので、この船には、私たちが購入したエコノミークラスのチケットしかないのかどうか聞くと、彼女はバグースクラスという私たちのチケットの倍の値段もするチケットを購入し、8人部屋のキャビンにいるという。。。しかも、二人分のスペースがあるからおいで!!なんて言ってくれた。。。もちろん無料で!!
ガブを呼びに行って、彼女Elni(エルニ)のお言葉に甘えElniの姉妹や友達に挨拶をし、ずうずうしくも二日間彼女たちのキャビンで寝泊りさせてもらった!本当にラッキー☆★☆
船旅はElni達のおかげでどうにか乗り越えられたけれど、船上は人もゴミも食べ物も色んなものがごっちゃごちゃで足の踏み場もない状態。もちろんアナウンスも全てインドネシア語で私たちには何の情報かも全く分からず。。。

Elniとは片言の英語でやり取りはしたけれど、大体は身体で表現!彼女たちは私たちがハイキング目的で行こうとしている、スラウェシのTana Toraja(タナトラージャ)出身という。彼女達は実家であるスラウェシを離れてマレーシアに出稼ぎに行っているという。Elniのお姉さんは実家に5人の子供が居て、今回は久々の再会みたい。。。
ということで、スラウェシ島到着後も彼女たちと一緒にバスに乗って、さらに5時間の旅。。。
Elniとは電話番号を交換し、みんなともお別れ!
カウチサーファーが見つからなかったTana Torajaでは泣く泣くゲストハウスに泊まることに★
ここTana Torajaは昔からの文化がまだまだ残っているようで、ガブも私もかなり楽しみにしている!!!どんな文化なんだろう???