と、帰ってきたのはハイジの国日の丸の国ではなくガブが生まれ育ったスイス。。。
カザフスタンのアルマテイという町でハイキングに行って、グキッとやってしまった膝
結局膝がロッキング状態で、自分でも間違いなく半月板損傷だと分かってはいたけれど、もしかしたらすぐに復活して、予定通りカザフスタンからキルギスタン、タジキスタンと自転車で走れるかも。。。と
結局2〜3日待っても膝が全く曲げのばしできず、カザフスタンで病院に行ってレントゲン(MRI)をとることに。
17年ほど前に前十時靭帯と半月板の手術をした膝と全く同じところを今回やってしまって、膝にまだ2本のボルトが入っていることを病院で伝える と、ボルトの素材がメタルかチタンであることは間違いないだろうから、レントゲンを撮るのは危険だという。。。レントゲンの機械が古いせいか結局カザフス タンではレントゲンも撮れず、医者の予約もなかなかとれず。。。
ハイキングで膝をやってしまう前日に、ようやく日本行きの航空券を予約したばかりだったのに。。。やっちまった
とにかく手術になるかどうかも知りたかったので、タジキスタンまでの自転車は諦めて、日本にここから帰って病院かね???とガブと話し合い、スイスの保険会社に連絡をすると、手術になった場合スイス以外の国では保証されないと。。。
と言うことで、トントンと飛行機の手配もしてくれて、膝が曲がった状態で約二週間ほどカザフスタンで病院探しやら何やらと過ごした後、あっという間に空港へ。。。
自転車は部品もしっかりとって、段ボールにしっかりしまい、重量もオーバーしていないのに、しかも保険会社に何度も自転車が二台あることを伝えて あったのに、結局チェックインカウンターではサイズも重量も規定通りだけれども、自転車であるということで90ユーロずつ支払え!と。。。ということは私 たちが自転車を購入した金額よりも高い
大体の航空会社は、重量とサイズが規定通りであれば無料なのに、なんで!!!
しかも私の膝のために私には二席、ガブに一席と合計三席を予約してあったにもかかわらず、重量もオーバーしていない荷物になんでお金を払わなくて は????と散々揉めて、飛行機出発20分前くらいになり相手側がそわそわしてきて、結局マネージャーが折れて自転車も乗せてくれることに。(お局のよう な女性はめちゃくちゃ怒っていたけれど。。。なんでだ??)
と、バタバタとカザフスタンを飛び去ってトルコのイスタンブールで乗り換え。
空港には車いすが用意されていて、乗り換え待合室へ。。。
数時間後には見慣れた空港、スイスのチューリッヒ空港に到着
またまた車いすで到着ロビーまで連れて行ってもらい、自転車も無事に到着していた。ロビーではガブの真ん中のお姉さんペタラの旦那さんマテイアスが迎えにきてくれていた。
スイスに帰ることはペタラとマテイアス、友人のルーカスだけに伝えてあって、他の家族や友人には伝えてなく、この日はペタラとマテイアスがどうにか理由を付けて他の家族を家に集めてくれていた
家に着くと庭には全員集まっていて、私たちは玄関から静かに入り、乾杯の合図で私はガブに背負ってもらって登場すると、全員が目を丸くして一瞬止まりエ〜ッ久々の再会を喜んだ。。。
ガブの二人のお姉さんペタラと一番上のミリアムには17ヶ月とレナ18ヶ月のシェーンとちびっ子が誕生していて、私たちも本物に会うのは初めて(スカイプでは見たことがあったけど)
かわいいのはもちろん、面白い二人。。。本当にめちゃくちゃかわいい
スイスでもレントゲンやお医者さんと話をする予約も散々待たされ、ようやくレントゲンを撮ると、やっぱり半月板の損傷。そして驚いたのが、かなり前に前十字靭帯もまたまた切れているという。。。いつの間に。。。
自転車もこぎまくっていたし、トレッキングにも行ったりしたけど、痛みもなかったし、切れた感じもしなかったのに。。。いつ切れていたんだ??
お医者さんが言うには、筋肉が十分についていれば前十字靭帯がなくてもスポーツもできるとのこと。
で、手術は。。。??前十字靭帯の手術は、昔のボルトが骨にまだ入っていて、そのボルトを抜いて全く同じ型の新しいボルトを骨に入れるのは難しいと。。。そして、30代40代でこの膝の手術はあまりよくない???と。
結局、半月板だけ手術をするということになって、手術の日までもやっぱり待つことに。。。
膝が曲がった状態でかれこれ1ヶ月。知り合いから松葉杖(肘からのストック)を借りて手術の日をスイスチーズやうまいヨーグルトをたんまり食べながら待つ。。。
ようやく手術も無事に終わり、さらに最低6週間は松葉杖生活!と言われ、腕はモリモリになるけれど、足は一気に筋肉が落ちてブヨンブヨン
左足への体重負担は10キロまでで、物を運ぶのも難しい。。。
それでも、治るものだから有り難い。。。ほんの少しの我慢
たくさんの人たちに助けられ、友人から大好物の納豆を頂いたり、めちゃくちゃうまい豚の生姜焼きをごちそうになったり、久々の再会をものすごく喜んだり、と膝を怪我したおかげでスイスにも帰って来れた。。。
きっと、何かしら意味があるんだろうな
何にもない砂漠や、山の中でこの膝をやっていたらと思うと恐ろしいけど。。。
と、まだまだ松葉杖生活が続いているけれど、膝のリハビリをしっかりして、早く普通の生活に戻れるようにしなくては
なんせ、この冬は日本で仕事が待っているこれも有り難い話!仕事ゲット
11月に日本帰国して、12月から日本で仕事を楽しみます。。。
それまで、もう少しおとなしくスイスでチーズやヨーグルト、チョコを頬張って大きく育ちます
Donnerstag, 29. September 2011
Donnerstag, 4. August 2011
やっちまった~
広~いロシアのほんの一部を走り抜ける・・・
BIYSK(ビスク)という町でもたくさんの人たちにお世話になり、たんまり肥えて、再び自転車&テント生活へ。。。
ここアルタイ地域の人たちは小さなお家、小さな畑がたくさん並び、彼らは自分たちの畑から採れる新鮮な野菜や果物を毎日食べる。庭にはバンニャというロシア式サウナ風呂の小屋がほぼすべてのお家にあり、これも自分たちで建てる人が多い
緑が多く、川もきれいで空気もうまい!
小さな村のマガジン(ロシア語でお店のこと)で、食料の買出しをしているとアレキサンダーという人がここから近い川沿いにキャンプ場があるからおいでと。無料でテントも張れるというので、地図も書いてもらいそこへ向かうことに・・・
そこにはかわいいバンガローが並ぶキャンプ場が。アレキサンダーがまだ戻っていなく、たまたまそこに宿泊していた英語教室の先生と子供たちに通訳 してもらい、アレキサンダーの奥さんアラにキャンプ場を案内してもらった。結局私たちは彼らの敷地内ではなく近くにある川沿いにテントを張ることに
奥さんのアラが夕飯に誘ってくれ、アレキサンダーも戻ってきたというので彼らのところに行くと、そこには見たこともない男性が???彼ももちろん私たちを見たことがない。。。
アラは彼が旦那のアレキサンダーだという。私たちが出会ったアレキサンダーは???
彼らはよくわからないけれど、とにかく夕食をどうぞと。
ここのアレキサンダーは見た目が少し怖い・・・でも全くそんなことはなく、彼もアラもとても優しく朝食にまで招待してくれ、次の日には野いちごを取りに行ったり、紅茶になる花を摘みに一緒に行ったりと
彼らは家畜もしていて、馬や羊、鶏とお肉や卵も自分たちのものを、野菜はもちろん畑から、パンも自分たちで焼くし、ジャムも蜂蜜もすべて手作りこれがめちゃくちゃうまい
私たちがイチゴなどを採りに行ったときに、そこに見たことのある男性が
アレキサンダーだ!!!私たちがお店で会ったアレキサンダーは私たちがいるところからさらにぐちゃぐちゃ道を走ったところに。。。アレキサンダーを間違えてよかった・・・
ロシアでもまたまた人の本当の優しさ、心の広さを再び学ばせてもらった。
もちろん、優しい人ばかりではなく、不親切な人もいるだろうけど、それぞれの国柄も少し見える・・・ただ、それは国柄なのか個人なのかは分からな いけれど、私たちが個人的に感じたのはタイやロシアでは本当の優しさをたくさん感じた。日本人もそうであって欲しいと願いながら、残りのロシアをもう少し 満喫・・・ここからカザフキスタンまでもう少し
テントを張るところはなるべく、川や湖などの水があるところや木が並ぶところに隠れるようにしているので、蚊がものすごく多いペダルをこいでいても長ズボンを履いていてもお構いなしに奴らは食いついてくる・・・
川で水浴び、洗濯をして、火を起こして料理をする
テントを張ってマットを膨らませ寝袋で寝るテントもだんだん弱ってきて、強風でテントのカバーが飛び、スティックが折れたりと・・・これが私たちの今の生活。
こんなに長旅をしているとたくさんの人たちが私たちを大金持ちだと
大金持ちではないけれど、時間はたっぷりある
旅の仕方によって、出費もかなり違う私たちの旅の出費はスイスや日本で働いての生活費より何倍も低い新婚旅行で航空券と五つ星ホテルなどの高級ホテルに一週間泊まるような金額で旅の仕方によっては、数ヶ月も旅ができる
もちろんそうしたくても仕事が休めなかったりと、時間がなくできない人がほとんどなのも十分分かる仕事の休みが短期間ならば、それなりにのんびりと贅沢な旅をしたいのも分かる。
私たちの旅は決して豪華ではないけれど、お金では買えない贅沢な時間がたっぷりある
これから先のことを考えながら、いろんな人たちに出逢い、文化の違いを知り、酔っ払いはどこも同じということを知り、人の本当の優しさにも色んなことを気づかせてもらう
もちろん大切な家族や友人に会えないし、甥っ子や姪っ子の成長ぶりも見逃してしまったり、義理のおじいちゃんの元気な姿も二度と見ることができない
それでも今だから持てるこの時間を大切にしなければ
ロシアからカザフキスタンの国境をビザを見せ、何の問題もなくスタンプを押してもらい通り抜ける・・・
ここはロシア???カザフキスタンでもロシア語が飛び交う
国境を越え一番最初の大きな町でカウチサーファーが見つからず、ホテルよりもアパートを借りたほうが安いという情報を得て(一泊から借りられる)、ロシア語が話せない私たちは助けを得て、運よく一泊2000円(三人で)のアパートを見つけることができ、そこでしばらく休憩
またまた久しぶりの洗濯機やお風呂、台所までなんて贅沢な
ここからALMATY(アルマティー)という町までの道は砂漠のように何もないということが分かっていたので、そこまで電車を使うことに電車って、なんて楽なんだ・・・24時間後にはアルマティーに・・・
モンゴルからここまでの道のりで見てきた町で一番大きな町、アルマティー。
ここでは自転車大好きなオーストラリア人の男性テスの家にお世話になることに
ここではこれから先の計画を立てる毎日。スベンはインドネシアの彼女とどこかで会う計画を。ガブと私はここからキルギスタン、タジキスタンを走って、そこから日本へ飛ぶことに
そして、航空券を予約した次の日にやってしまった・・・
お世話になっているオーストラリア人のテスにハイキングに連れて行ってもらい、山を登っていたその瞬間、昔に手術したことのある左膝がまたまたグキッと・・・いつもなら少し休めば歩けるのに、いやな予感
膝が曲がらない伸びない・・・痛い間違いなく、半月版損傷だろうな・・・
結局ガブが私を背負って山を降りることに・・・重いのに・・・ごめんね
予想以上にひどいようで、自転車どころかしばらくは歩けない状態。何で自転車こいでいないときにこんなことにアホだ・・・
ということで、ただいまテスの家を片足でジャンプしながら早い復帰を祈って安静中
カザフキスタンのビザが切れるまでに歩ければいいけれど・・・
BIYSK(ビスク)という町でもたくさんの人たちにお世話になり、たんまり肥えて、再び自転車&テント生活へ。。。
ここアルタイ地域の人たちは小さなお家、小さな畑がたくさん並び、彼らは自分たちの畑から採れる新鮮な野菜や果物を毎日食べる。庭にはバンニャというロシア式サウナ風呂の小屋がほぼすべてのお家にあり、これも自分たちで建てる人が多い
緑が多く、川もきれいで空気もうまい!
小さな村のマガジン(ロシア語でお店のこと)で、食料の買出しをしているとアレキサンダーという人がここから近い川沿いにキャンプ場があるからおいでと。無料でテントも張れるというので、地図も書いてもらいそこへ向かうことに・・・
そこにはかわいいバンガローが並ぶキャンプ場が。アレキサンダーがまだ戻っていなく、たまたまそこに宿泊していた英語教室の先生と子供たちに通訳 してもらい、アレキサンダーの奥さんアラにキャンプ場を案内してもらった。結局私たちは彼らの敷地内ではなく近くにある川沿いにテントを張ることに
奥さんのアラが夕飯に誘ってくれ、アレキサンダーも戻ってきたというので彼らのところに行くと、そこには見たこともない男性が???彼ももちろん私たちを見たことがない。。。
アラは彼が旦那のアレキサンダーだという。私たちが出会ったアレキサンダーは???
彼らはよくわからないけれど、とにかく夕食をどうぞと。
ここのアレキサンダーは見た目が少し怖い・・・でも全くそんなことはなく、彼もアラもとても優しく朝食にまで招待してくれ、次の日には野いちごを取りに行ったり、紅茶になる花を摘みに一緒に行ったりと
彼らは家畜もしていて、馬や羊、鶏とお肉や卵も自分たちのものを、野菜はもちろん畑から、パンも自分たちで焼くし、ジャムも蜂蜜もすべて手作りこれがめちゃくちゃうまい
私たちがイチゴなどを採りに行ったときに、そこに見たことのある男性が
アレキサンダーだ!!!私たちがお店で会ったアレキサンダーは私たちがいるところからさらにぐちゃぐちゃ道を走ったところに。。。アレキサンダーを間違えてよかった・・・
ロシアでもまたまた人の本当の優しさ、心の広さを再び学ばせてもらった。
もちろん、優しい人ばかりではなく、不親切な人もいるだろうけど、それぞれの国柄も少し見える・・・ただ、それは国柄なのか個人なのかは分からな いけれど、私たちが個人的に感じたのはタイやロシアでは本当の優しさをたくさん感じた。日本人もそうであって欲しいと願いながら、残りのロシアをもう少し 満喫・・・ここからカザフキスタンまでもう少し
テントを張るところはなるべく、川や湖などの水があるところや木が並ぶところに隠れるようにしているので、蚊がものすごく多いペダルをこいでいても長ズボンを履いていてもお構いなしに奴らは食いついてくる・・・
川で水浴び、洗濯をして、火を起こして料理をする
テントを張ってマットを膨らませ寝袋で寝るテントもだんだん弱ってきて、強風でテントのカバーが飛び、スティックが折れたりと・・・これが私たちの今の生活。
こんなに長旅をしているとたくさんの人たちが私たちを大金持ちだと
大金持ちではないけれど、時間はたっぷりある
旅の仕方によって、出費もかなり違う私たちの旅の出費はスイスや日本で働いての生活費より何倍も低い新婚旅行で航空券と五つ星ホテルなどの高級ホテルに一週間泊まるような金額で旅の仕方によっては、数ヶ月も旅ができる
もちろんそうしたくても仕事が休めなかったりと、時間がなくできない人がほとんどなのも十分分かる仕事の休みが短期間ならば、それなりにのんびりと贅沢な旅をしたいのも分かる。
私たちの旅は決して豪華ではないけれど、お金では買えない贅沢な時間がたっぷりある
これから先のことを考えながら、いろんな人たちに出逢い、文化の違いを知り、酔っ払いはどこも同じということを知り、人の本当の優しさにも色んなことを気づかせてもらう
もちろん大切な家族や友人に会えないし、甥っ子や姪っ子の成長ぶりも見逃してしまったり、義理のおじいちゃんの元気な姿も二度と見ることができない
それでも今だから持てるこの時間を大切にしなければ
ロシアからカザフキスタンの国境をビザを見せ、何の問題もなくスタンプを押してもらい通り抜ける・・・
ここはロシア???カザフキスタンでもロシア語が飛び交う
国境を越え一番最初の大きな町でカウチサーファーが見つからず、ホテルよりもアパートを借りたほうが安いという情報を得て(一泊から借りられる)、ロシア語が話せない私たちは助けを得て、運よく一泊2000円(三人で)のアパートを見つけることができ、そこでしばらく休憩
またまた久しぶりの洗濯機やお風呂、台所までなんて贅沢な
ここからALMATY(アルマティー)という町までの道は砂漠のように何もないということが分かっていたので、そこまで電車を使うことに電車って、なんて楽なんだ・・・24時間後にはアルマティーに・・・
モンゴルからここまでの道のりで見てきた町で一番大きな町、アルマティー。
ここでは自転車大好きなオーストラリア人の男性テスの家にお世話になることに
ここではこれから先の計画を立てる毎日。スベンはインドネシアの彼女とどこかで会う計画を。ガブと私はここからキルギスタン、タジキスタンを走って、そこから日本へ飛ぶことに
そして、航空券を予約した次の日にやってしまった・・・
お世話になっているオーストラリア人のテスにハイキングに連れて行ってもらい、山を登っていたその瞬間、昔に手術したことのある左膝がまたまたグキッと・・・いつもなら少し休めば歩けるのに、いやな予感
膝が曲がらない伸びない・・・痛い間違いなく、半月版損傷だろうな・・・
結局ガブが私を背負って山を降りることに・・・重いのに・・・ごめんね
予想以上にひどいようで、自転車どころかしばらくは歩けない状態。何で自転車こいでいないときにこんなことにアホだ・・・
ということで、ただいまテスの家を片足でジャンプしながら早い復帰を祈って安静中
カザフキスタンのビザが切れるまでに歩ければいいけれど・・・
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