Samstag, 30. April 2011

チンギス・ハーン

やっとのこと出発した中国からモンゴルへの列車・・
出発しても何度も何度も停まっていたけれど、列車内は意外にかなり心地よい作りだ。4人ベットずつに区切られていて、ガブと私とクレイグ、そして中国人のビジネスマンっぽい男性が一緒に。

なんだかんだとおしゃべりしたり、食べたり寝たりとしているうち、あっという間にモンゴルの首都、ウランバートルに到着.

中 国から到着した私たちは声をかけてくるモンゴル人たちに、思わず中国語でハローやありがとうを言ってしまい、何人ものモンゴル人がムスッとして『その言葉 は俺たちの言葉じゃない!!悪い言葉だ!!』と怒っていた・・・私たちも言葉を切り替えなければ。それにしてもモンゴル語は難しい...
ロシア語に似ているらしい。なかなか頭に入ってこない・・・
とにかく、ハローとありがとう、これはいくらですか?と数字くらいは覚えたいもんだ!

『チ ンギス・ハーン』この名前も、中学の歴史で聞いたことがある。そして歌にあわせて踊ったこともある...チンギス・ハーンはモンゴルの英雄!!彼に ついてもっと知らなくちゃ!!そして、相撲についてもね!白鵬もモンゴル人だよね???あれ??日本の相撲界は強いモンゴル人がたくさんいる .

ウランバートルでは、まずはテントではなく宿で・・・ということで宿探し.
モンゴルは物価が安い!と勝手に考えていた私たちは、予想外に高く、大ショック・・・
高いといっても、日本やヨーロッパの物価に比べたらまだまだ安いけれど、私たちにとっては高く、そして中国と比べると宿や食事代は2~3倍は高い!!!
物価が高いのは、ほとんどすべての物が輸入品であるためのようだ・・・

スベンが到着する前に、カザフキスタンのビザを取り、ロシアのビザももう一度確認。
ロ シアのビザ取得は自国以外での申請は特に難しいということで、結局スイスへ私たちのパスポートを送り、スイスのロシア大使館で申請せざる終えな く・・・モンゴルは2010年より日本国籍の者はビザなしで30日間滞在可能になり、日本人にとっては蒙古斑を確認しに来るのが楽に ...

ガブの幼馴染でもあるスベンもモンゴルに到着!!!一年ぶりの再会・・・
今回またまた彼と一緒 にモンゴルから一緒に旅をすることに...スベンはスイスを出発する前にガブのお母さんモニカから預かってきた、袋いっぱいに入った私たちの大好 物の食料を抱えてやってきた!!!スイスチョコ、チーズ、ロシティ、スベンからはスイスワインまでも!全てをテーブルに並べ、ガブも私 もニコニコ!!!!!!!!
母親という存在の暖かさに感謝!!!!!

ここウランバートルは首都ではあるけれど、20キロほど離れれば荒野が広がり、ゲルというテントで生活をする放牧民がまだまだたくさんいるという。
街中には、おしゃれをした男女がたくさんいて、特に女性はしっかりと化粧もしていてカワイコちゃんもたくさん!!
ここモンゴルも、町での生活と町から少し離れた場所での生活が見ないでも想像ができてしまう・・・
スベンもようやく中古の自転車をゲット!!
ビザの申請などにもいろいろ時間がかかり、これからの自転車の旅の準備中!!!モンゴルは中国と違って、いろんなところに人もいなければ店もない。水や食料のこともしっかり考えて準備しなくては・・・
道路状況は全ての人が声をそろえて、最悪だ!!というけれど、隠れなくても好きなところにテントを張って寝てもいいみたい...
気になるのは毎日の気温差・・・昨日はものすごい暖かかったと思うと、今日はものすごく風が強く、吹雪いていたりと気温差20度くらい****
とにかく体調だけには気をつけなくては!!

そうだ!!私たちの自転車、予定通り無事にモンゴルに遅れて到着...あぁ~本当によかった!!!後は、スイスから私たちのパスポートがロシアビザのステッカーが貼られて無事に到着するのを待って、出発!!!

Freitag, 29. April 2011

万里の長城からモンゴルへ

北京を出発して中国とモンゴルの国境に向かって自転車をこぐ!!
北京は大都市ではあるけれど、50キロほど走ると大きなビルはなくなり、すぐに田舎の風景が目に入ってきた。

万里の長城を中学のときに歴史の授業で聞いた以来、後は観光地というイメージしかなく、いつかは見てみたいとは思っていたけれど、わざわざそれだけのために行く気はまったくなかった。それがまさか自転車で観にいけるとは・・・
考えてみれば、古いものでは2千年以上も昔に建てられた世界遺産☆戦国時代に北の異民族に備えたり、内戦時の国境、モンゴルからの襲撃に備えるために建設された長城。長城といっても一直線ではなく、あらゆるところに建てられていて途中途切れている・・・
また、農耕民族の物産の交易所としても使われていたみたい!

北京から約70キロほど走ったところに長城らしき物が見えてきた☆
それにしてもここも山だらけ・・・北京の周りには山はないと勝手に思い込んでいたのが間違いだった・・・
初めに見えてきた長城の一部は再建されていて、形もしっかり長城だとわかる。もちろん、観光客も何人かいて急な長城を入場料を払って登っていた。
それにしてもものすごい急な登り・・・
私たちはここでは長城を横に見ながらさらに北へ走ることに!
山をかなり登ると、そこにも長城の一部が見えてきた。ここはかなり崩れているけれど、長城があったんだなということはわかる。
人も車も少なく、長城の横にある木々の後ろにうまく隠れることができ、テントで一晩★
せっかくだから長城に登ろうと、ごろごろ転がった石につまずきながら、強風にも飛ばされそうになり、横を見るとものすごい高さで少しちびりながらどうにかてっぺんへ!!!
さすがに景色は最高★昔はこんな景色を見ながら最高とは思えず、銃を持って敵を見張り、ものすごい荷物を抱えてこんな急な長城を命がけで上り下りしていたんだろうな・・・

北京から北に向かっていくと生活も全く違って、都市での生活、農家としての生活、そして貧富の差がものすごく目に入ってきた・・・
季節のせいもあるかもしれないけれど、この辺りはものすごく乾燥している!!!!風も強く埃まみれで、一日中ロバや馬を使って農作業をしている人たちの姿があらゆるところに。
機械を使って農作業をしている農家は片手で数えるほどしか見なかった。彼らからロバや馬をとったら、彼らは間違いなく食べていかれないんだろうな・・・

まだ中国内ではあるけれど、内モンゴルという地域がある。昔はモンゴルだったんだろうけど、今は中国。
この地域に入ると木々はなくなり、だだっ広い広野になり、なかなか隠れてテントを張れる場所が見つからなくなってきた・・・
毎 日毎日自転車には大敵の向かい風にやられ、、何度もハンドルを取られて倒れそうになりながら、ペダルを何度かこいでは止まらざる終えないほどの強風と砂嵐 に見舞われ、前を走るガブの姿さえも見えないほど★牛や羊が飛んでくるのではというくらいものすごい強風だった・・・
どうにかモンゴルの国境手前の町に到着☆

中国側からモンゴル側へは自転車や徒歩では国境は渡れないということで、ここからモンゴルの首都ウランバートルまで電車で行くことに。
ウランバートルでは、またまた一緒に旅をする私たちの友人SVENスベンがスイスからきて合流予定!!
それにしても国際線の電車のはずなのに、駅はいつも閉まっているし、切符売り場も閉まっていて、いつ電車が走るかも掲示板もない・・・
私たちが中国語やモンゴル語を話すべきなのかもしれないけれど、国際線の駅でも誰も英語を話さない。。。
どうにか片言で私たちの言いたいことが伝わり、二日後に電車があり、その日の朝に駅の反対側にある切符売り場が朝7時半から8時半くらいに開くから、そこにいけ・・・と。
とにかくそれを信じるしかない・・・
それまでの間に中国で私たちの自転車の修理するべき箇所を確認し、自転車屋に行くと、おじさん二人が私たちの自転車をものすごく適当に修理してくれたもんだから、修理する前よりもひどい状態になってしまった!!
ガブはトラウマになってしまったようで、これからは自分ではどうにもならない時だけ、修理に出す!!と、次の日も一日中自分で、修理に出してきたばかりの自転車をさらに修理することに・・・

月曜日の朝8時ごろ、モンゴル行きの切符を買いに切符売り場に行くと長蛇の行列が・・・もちろん、中国人もモンゴル人も普通にどんどん割り込んでくる!!
特に中国人・・・彼らにとっては割り込むことが当たり前、男も女も痰をあらゆる所に吐き出す、禁煙と書いてあっても暗黙の了解のように当たり前のように吸う☆
これも、彼らにとっては悪気がまったくないのだ!!これが当たり前で、彼らのルールはこうなんだ!!彼らの文化といってもいいのではないだろうか??
と、割り込みにも慣れてきた??私たちは腹が立つというよりあきれて笑えてしまう・・・
もちろん、カワイコぶってそれを見逃していたらきりがない!!割り込んでくる人を私も彼らのように押しのける・・・そうでもしないといつの間にか最後尾になりかねない。

と、それにしても切符売り場は一向に開かない・・・開くはずの予定時間よりも一時間以上遅れて、切符売りのおばちゃん二人が到着!!それも普通みたい・・・
そして、中国語で本日の切符は売り切れと、ラッキーなことに明日も電車があるということで、どうにか翌日の切符を人に押されながらゲット☆
私たちには自転車もあるから、貨物に乗せて運んでもらうのにこの手続きにもかなりてこずった!!とにかく私たちの乗る電車には貨物がないのか、荷物でいっぱいなのかはわからないけれど、同じ電車では自転車は運べないと!三日後なら貨物に乗せられると・・・
そ こからがまたまたわけのわからないやり取りで、どうにかその三日後の電車で後から自転車が私たちを追いかけてくることを信じ、半信半疑にお金を払い、い や、全く信じられないけれど、そうするしかなく、私たちは中国に自転車を置いて一足先にモンゴル行きの電車に乗ることに。
とにかく無事に到着してくれることを祈るのみ!!
これが本当のサイクリストで、20万や30万円の自転車だったらと思うと・・・

列 車は予想通り3時間以上も遅れて出発!!その前も国境越えのために、荷物やらパスポートの検査で我先に!!と、大きな荷物をバンバン人にぶつけな がら前へ前へというアホな人達を、切符売り場で出会ったイギリス人のクレイグと日本人の大学生まことくん君、そしてガブと私4人であきれながら見つめてい た・・・
この光景は中国だけではなくインドでも見た光景だ・・・

中国は今でも興味深い国。
とてつもなく大きな国で、一つの国ではあるけれどいろんな顔を持つ国。
行きたいところはまだまだあるけれど、今回自転車で走った雲南省や四川省はとてもよかった☆
もう一度行きたい、というところがたくさんあった!
中華料理は好きだけれど、油をたんまり使っているので、たまにでいいかな。
モンゴルは私のあまり得意ではない、ラム肉料理がたっぷりという・・・
とにかく、蒙古斑を持つのはアメリカンインディアン、モンゴル人、日本人だけのはず!!
先祖が同じか、近いことは間違いない!彼らのお尻を見にモンゴルへ・・・

Freitag, 8. April 2011

メッセージ

シャングリラから北に向かって、4700m以上もの山々を必死に越える。。。寒さでか、標高でなのか、それとも坂が辛いのかよくわからないけれど、ペダルをこぐのがかなり辛い。一度だけ悪天候に見舞われ、突風と雪、あられを顔面に受けながら鼻水を凍らせて前に進んでいるつもりでペダルを必死に動かす。。。4000mくらいのところまで下り、隠れられそうな寝所を探しテントを張る。この日、珍しいスイスの友人からガブの携帯にメッセージが送られてきた。ここ中国は4000m以上の山の上でも携帯がつながる!!すごい! 彼からのメッセージは、私たちが今どこに居るのか、無事なのか。と・・・???私たちは彼に中国に居ることを伝えると、翌日彼からまたメッセージが届き、私の日本に居る家族や友人が無事でありますように。。。と?????日本で何かあったんだ!!!!!何があったんだろう???まさか、地震では・・・こんな山の上ではどうにもできない、たまたまこの日は一週間の長い長い辛い道のりを終え、久々に少し大きな村の安宿に泊まるときで、ちょうど久しぶりのシャワーを浴びようとしていた時に彼からのメッセージだった。 急いで宿の人にパソコンが使えるかを聞きに行ったけど、山から下りてきたとは言ってもこの村も標高4000mに位置し、電気が通らないことも多々あるようで、彼らのパソコンはインターネットも繋がらず、ホットシャワーと宿の人は言っていたのに、冷たい水しか出なかった。。。結局冷たい水で震えながら簡単に水浴びをするはめに・・・これじゃ、テント生活と同じだ。。。 どうにか日本の状況を知りたいと思っていたときに、パソコンを持っている外国人観光客が同じ宿に!!しかも一人は日本人じゃないか!!!彼も必死に日本の状況をインターネットからニュースを読んでいたようで、昨日あった日本での大地震、津波そして原発問題を簡単に教えてくれた。彼と、もう一人韓国の人にパソコンを借りて日本に居る家族や友人に連絡。無事を何とか知ることはできたけれど、どんな状況なのかが全く分からない。。。96歳のばぁちゃんは福島のいわきに伯父と住んでいて、無事なのかが分からない・・・かなり心配★でも、後日無事を確認。 インターネットだけではなく、テレビもなく何の詳しい情報もないまま走り続ける。。。中国のビザを延期するためにさらに先にある大きな村、康定(カンディン)に向かう。康定までの道のりにもさらに大きな峠越えがたくさんあって、私たちの残りのビザ日数ではとてもじゃないけど間に合いそうにない。。。(前から分かっていたので、途中でバスを利用するつもりだった)とりあえず走り出す。。。早速、長~い長~い上り坂が私たちを待っていた★そんなときに自転車も積めそうな警察の車が私たちの横を通る。あ~、警察とめてヒッチハイクすればよかった!!!と、後ろから同じくらいの大きさの白い車が★ とりあえずペダルをこぎながら、しっかりと親指を立てて車を止めようと試みる。。。救急車だ!!と、その救急車は私たちの前に停まり、まさかのまさか私たちを自転車ごと車に乗せてくれ、康定まで連れて行ってくれることに!!!!ラッキーすぎる。。。。 ここから康定まではバスで約10時間。しかし、ここ中国は警察などの公務員(救急車の人たちも)は何でもできちゃう!!彼らは私たちを乗せてものすごいスピードで狭い道を走り高い峠をどんどん越えていく。。。前に遅い車が居れば救急車のサイレンを鳴らして追い越す。しかも、三人のうちの一人若い人がビールを飲みながら後ろに乗っていたガブにも缶ビールを渡してきた☆本当に救急車だよな~と、もう一度車のステッカーを確認。間違いなく救急車だ!でも、彼らが何をしているのかは最後まで分からず。。。とにかく約6時間ほどで彼らは私たちを康定まで運んでくれた!!ありがたや~☆ ビザ延長申請の為には外国人も泊まれる(警察に登録がしてある)宿に泊まり、そこで私たちの身元証明を登録必要があり、テントは駄目!まぁ~大きな村や町ではテントが張れる場所を見つけるのも大変だけど・・・大きな村や町での宿探しは本当に難しく、安宿はほとんど外国人を受け入れられず、(警察のチェックがある)外国人は高い宿に行けと。。。見つけるのに時間がかかったけれど、どうにかそれほど高くない宿を見つけ、しっかり身元登録も。早速、久しぶりのテレビをつけ英語のニュースチャンネルを探す。。。ない!でも中国語で日本で起こった震災のニュースをしっかり流している。信じられない光景が目に・・・映像だけでもどんなにひどいことになっているかが伝わってくる・・・ インターネットショップを何件も回ったけど、やっぱり外国人を一切拒否。最後の一軒、駄目もとで聞いてみる。そこは唯一外国人登録がしてあるようで、私たちも使うことができた!インターネットから日本の状況を少し知る・・・ つい最近二度目の大きな地震があったニュージーランドのニュースを耳にした後、まさか自国でもこんなことになるとは・・・そして原発問題。原発に関して全く知識のない私は、どんなに危険なのか、これからどうなってしまうのかも分からない・・・とにかく、二次災害、三次災害と広がらないことを祈るだけだ。。。神様、お願いします!! 翌日ビザ申請のために、出入国管理の警察署へ。中国の観光ビザは通常一ヶ月ごとに申請でき、二回だけ延長できる。(計三ヶ月間)今回は私たちにとって最後の延長申請。私たちの今現在のビザが切れるのが5日後、彼らが言うには延長申請を今日してしまうと、残りの5日間が消えてしまうので、5日後に申請に来たほうが良いのでは?と。自転車で旅をしている私たちにとっては5日間という時間は貴重なので、仕方なく5日後に申請することに・・・ここ中国にはどんなに小さな村でも警察署があるが、ビザの申請ができる場所は決まっていて、この為に私たちはここ康定まで来た。ここからは更に北に向かって小さな村々を走る予定だった・・・だった。と言うのはこのアホな康定警察のせいで、私たちの予定が全て狂ってしまうことに!!予定だけではなく、宿代や交通費、そしてお金で買えない時間までも彼らのせいで無駄にすることに!!! ビザ申請をするまでの時間はもちろん、インターネットで日本のニュースばかり見る。そして食。運悪く、ガブも珍しく私までもが何かに食あたりし、二日間ほど下痢と嘔吐に襲われる・・・トイレとお友達★ 警察はわざわざ私たちが泊まる宿主にまで電話をかけてきて、私たちがまだそこに居るか、明日は申請に来るかを確認してきたらしい。この町もチベットからそれほど遠くなく、周りにはチベット人たちが住む小さな村々がある。きっと、警察は私たちが自転車でこっそりとチベット入りをしないかを心配しているのかもしれない。。。 翌日警察に行き、全ての必要書類を渡す。数分後、同じ警察が戻ってきて何を言うかと思えば・・・『パスポートに貼るビザステッカーの在庫がないので、ここ康定ではビザの延長申請は不可能。大きな街、成都(チェンドゥ)の出入国管理警察に行ってくれ!』と・・はぁ~??????何言っているんだこのアホ警察!!その成都はここからバスで約8時間。しかも今日で私たちのビザは期限切れ。明日は土曜日で警察は閉まっている。私たちが申請に来ることも分かっていたし、お国でやっている出入国管理局(警察)が、そんなんでいいのか・・・いや、ここ中国は警察だからこそ何でも言える、何でもできる。。。実際にステッカーがないことが本当なのかは未だに分からないけれど、それともチベット地区から私たちを遠ざけたかったのか分からない★ ビザは手書きじゃないのだから、私たちの詳細をパソコンに入力して、ステッカーが届いたら印刷すればいいだけじゃないのか??と言うと、ステッカーがいつ届くかも分からないし、それは僕の仕事じゃないから分からない!と。アホ過ぎる・・・上司は更にアホで、私たちに向かって手で追い払うように成都に行け!成都に行け!と。。。しまいには、冷静に彼らのアホ振りに対応していた私たちに対して、『ヨーロッパや日本に僕達が行くのにはビザの申請が難しいのに、中国はこんなに簡単に君達にビザを与えている!』と個人的な感情までも。。。彼の大事なところに蹴りを入れてしまう前にここを退散したほうがよさそうだ。 結局成都に行かざる終えず、とにかく成都の管理局に電話も入れてもらい、しっかりと私たちのビザの詳細を一筆書いてもらいアホな警察署をでていった。 既にお昼を過ぎていたけど、急いで荷物をまとめ成都方面へ走る。バスはなく、ヒッチハイクもうまくいかず、結局隣の町まで走った後、翌朝出るバスを待つことに・・・自転車の部品(タイヤなど)をはずしてバスに積み込み、成都へ!康定のアホ警察が土曜日は出入管理局は閉まっているけれど、私たちのために開けて待っていると。成都に到着し、直で警察に向かうと警備員がドアのところに立っていて、今日は休みだから月曜に来てくれと。書類を見せても同じことを言う。へ???警備員の携帯を借りて康定のアホ警察に電話すると、そんなはずはない!と・・・そんなはずがあるのだ!とにかくアホから成都の担当者に電話を入れてくれ!!約三十分後くらいに担当の女性が私たちのところに来てくれた。結局週末はビザの申請はできないと・・・そしてまずは宿を見つけ、そこで私たちの身元証明を登録し、月曜日に来てくれと、丁寧に説明してくれた。宿探しへ。。。ここ大きな街には、私たちが今までに泊まった宿よりも倍ほど高い宿しかなく、少しでも安い宿を見つけるのに二時間以上もかかったが、どうにか見つけ、月曜日には無事に申請ができ数日後にようやくビザ取得! 私たちが走ろうと予定していたルートからかなり外れてしまい、元の場所に戻る気力もなくもう一度ルートを考えることに・・・ここ中国から日本へ、もしくわ韓国経由で日本に入り、九州から北海道に向かって走ろうと予定をしていたけど、今日本をのほほんと走る気にもならず、食べ物や水問題で大変なときに家族や友人のところに居候するのも気が引ける・・・ならばずっと行ってみたいと思っていた『モウコハン』の源、モンゴルを走ろう!!!ということに。早速モンゴルのビザ申請、中国とモンゴルの唯一の国境に近づくために中国の首都、北京へ・・・・!!!!成都から電車で約32時間。 北京ではありがたいことに、カウチサーファーと同じような仕組みのウォームシャワーと言う自転車で旅をする人たちのサイトから、RayとFlorence、三匹の猫の家にお世話になることに★ 本当にありがたいことに、彼らの家では部屋だけではなく、台所もシャワーも全てを私たちだけで使わせてもらえ、私たちにとっては五つ星ホテルなんかよりも優雅に、かなりのんびりさせてもらった・・・ガブも私も通常は大都市があまり好きではないけれど、ここ北京は意外にも興味深いものがたくさんあり、大きな街を自転車で走るのが嫌いな私も、ここ北京には自転車のスペースがあり、気持ちよくまでとはいかないけど、かなり乗り回すことができた☆ モンゴルのビザ申請も無事に終わり、自転車の壊れた部品などを取り替え、着々と次への準備が進んでいった。 もちろん、北京ダックもしっかり堪能!!しかも、彼らにご馳走になってしまった・・・このお返しはいつの日か・・・モンゴルは私たちの友人、あのSvenスベンがまたまた私たちと合流し一緒に旅をすることに!!もちろん、チーズフォンデュとチョコをスーパーで半額を見つけたら持ってきてと、お願いしました!! 明日は内モンゴル(中国)に向かって北京を出発。ここからモンゴルの国境まで約800kmくらい、万里の長城も通過する予定!!!楽しみ★