Donnerstag, 24. Juni 2010

Tana Toraja

宮崎駿の世界。。。ここTana Toraja(タナトラージャ)ではなんだか懐かしいような、そして何故だか宮崎駿の映画が頭をめぐった☆

タナトラージャにはハイキング目的で来たのだけど、私たちが到着してすぐに何人かの地元の男の人に声をかけられ、明日はここタナトラージャで有名な葬式があるからガイドをしてあげると。。。今でもここタナトラージャには昔からの文化や儀式が残っているようで、私もガブも葬式が有名だとは聞いていたけど、到着してすぐに声をかけられたので二日間の船旅でぐったりしていた私たちは、とにかく早く休みたく、葬式よりもハイキング情報がほしい。。。ということでガイドはお断り!すると、ハイキングガイドをつけなければ、彼らの言語を話せなければ道を見つけるのも大変だし、危険だという。
とにかくガイドはお断りして、自分たちでどうにかハイキング情報を入手しようと☆
翌日は地図とはいえないけど誰かの手作りのような村の名前が書かれた紙を入手し、片言のインドネシア語を覚え、レストランはもちろんないというので水と食料を購入。宿ももちろんほとんどの村にはないので、テントを張るにしても地元の人の家に泊まらせてもらうにも、水を分けてもらうにも、ここタナトラージャでは手土産を持って行くのが通常うのようで、(誰かの家を訪ねるのにも、手土産、もしくはお金を渡す習慣みたい)私たちも手土産用にお菓子を購入し、三日間ハイキングへと。。。

町から離れて一歩村に入ると、そこは別世界。。。
お米で有名なここタナトラージャには田んぼや水牛、そしてコーヒーも有名でコーヒー豆の木がたくさん!何よりもTongkonan(トンコナン)という米蔵や家として利用している独特の形をした建物が印象的で、すべての家に大小はさまざまだけれど必ずこのトンコナンがある。
このトンコナンは、お墓としても利用している。

ハイキング初日は山の上までどうにかたどり着き、夜中は雷と大雨に見舞われてテントの中でドキドキしていたけど、翌日は晴れ!しかし寝所がなかなか見つからず、日が暮れる寸前にどうにか一軒のお家に寝かせてもらえることに!!!
ここタナトラージャは決してお金持ちではないのだけれど、食料がとても豊かで生きていくのには困らず、のんびりと暮らしていて心も豊かな人たちがたくさんいるように感じた。お米を耕すのにも全て手での作業。コーヒー豆も豊富で、今までに飲んだコーヒーの中で一番味わったような気がする★挽いたばかりのコーヒー豆なんて本当に贅沢!!!

私たちが寝かせてもらったお家には年配のお母さんがいて、70歳くらいの彼女も毎日コーヒー豆や家畜の豚用の野菜を山にとりに行ったりと、とても元気!村を離れた娘を思い出したのか、翌日お別れをするときには私を娘のように抱きしめてくれた。

3日間のハイキングをたっぷり堪能して、町へ戻ると船の中で出会ったElni(エルニ)から電話があり、彼女の友達(船も一緒だった)のお爺さんのお葬式が翌日あるので一緒に行こうと★☆★ラッキーなんて失礼な言い方だけれど、この伝統的な儀式で行われる葬式が見られることはめったにない!!そしてここタナトラージャでは人間はあの世から来てあの世に戻る、と信じていて葬式は悲しいことではなく、亡くなった人があの世に帰って行く儀式であると。
儀式には全ての人が参加することができ、大きな儀式にはたくさんの水牛や豚が奉られ、儀式の踊りが披露され食事やコーヒーまでも持成される。(葬儀にももちろん大小があるよう)
奉られた水牛や豚は私たちの目の前で斬られ、全ての肉が料理され持成される。

私たちはElni達のおかげで、親族の席に参加させてもらいタナトラージャの葬式を十分に見させてもらった。
通常葬儀は4日間行われるようで、葬儀に奉られる水牛や豚はかなりの高額で、また亡くなってから葬儀が行われるまで葬儀金を集めるのに通常は5年~10年かかるのが当たり前だという。ということは、亡くなった人は???マミーです★亡くなった人の体を腐敗から防ぐのに注射を打ち、お棺に入れて自宅で保管するとのこと。私たちが参加した葬儀のおじいさんは亡くなってからまだ6ヶ月しか経っていなく、早い葬儀が行うことができたと。。。
お爺さんはやっと天国に帰って行けたんだろうな。。。

Tana Torajaは私にとってこれまでの旅でもとっても印象強いところ。もっともっと彼らの文化を知りたかったけど、次回の楽しみに残して、オーストラリアで出会った(自転車の旅をしているJens&Zuzka)友人に会うためにバリへ。。。

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