Sonntag, 26. Dezember 2010

復活!!!???

自転車をストップして約一ヶ月・・・
のう胞というのが体内で化膿して、たまたま近くにあったのが臍の穴で、そこから膿が噴火!!毎日の病院通いと薬で大分よくなり、CTスキャンもしっかり撮って臓器系にも異常なし!!と、一安心・・・
さて、自転車でラオスに向かおうと考えていた前日、私の誕生日にまたまた臍の周りが筋肉痛っぽく。。。この痛みって、前に恐ろしい痛みに苦しめられたときの前兆と同じでは・・・と、大きな町チェンマイから離れる前にもう一度病院へ!!
うむむむ・・・先生にもよくわからない。筋肉が収縮しているのかも!!と、数日後にさらに痛みが悪化、もしくわ膿がまた出るようだったら大きな手術。。。と!!何もなければ、今までの生活と同じように暴れても、自転車で走ってもOK~!!
その後、臍を毎回チェックしながらまたまたチェンマイに滞在。少しまた膿は出てきたけれど、痛みはなく回復傾向・・・いずれにせよ、大きな手術をするのなら日本かスイスでやりたい!!
と、考えていたけれど、本当に復活!!
大事をとって、一週間ほどまたまた大人しく食っちゃ寝・・・の生活をして、ようやく明後日には自転車でさらに北部に向かえそう!!タイのビザもギリギリになって来たし、ラオスに向かわなければ・・・

ここタイでは、スイスで過ごしていたクリスマスとは違って、本当に素朴に普通の日を過ごした。ただ、ケーキは食べたいな~と、チェンマイの町を歩き回ったけど、私たちにとってお手頃でおいしそうなケーキは見つからず・・・結局、タイのスパイシーなご飯をいつも通り食べて終わっちゃった。
タイは仏教徒信者が多いけれど(日本よりもものすごい信者)、クリスマスの飾りつけはもちろん町にあったし、クリスマスの曲も色んな所で流れていた・・・日本もクリスマスはイベントの一つとして考えている人が多いんだろうけど。

今度は早くもお正月か・・・おせち料理、あまり好きじゃないけれど(栗きんとんだけ好き!)、日本人として、一度くらい作れるようになりたいな☆
今年ももうすぐ終わってしまう・・・遠くにいるけれど、私にとってはとっても近くで支えてくれている人たちに感謝です。今年もありがとうございました!!来年もよろしくお願いいたします☆
みんなが素敵な年を迎えられますように・・・来年は何年だっけ????

Samstag, 11. Dezember 2010

へそ噴火!!!

バンコクから北部チェンマイへと移動。ここチェンマイでは、ロイクラトンという水の精霊に感謝と願いを込め灯篭を川に流したり、ランタンを空へ飛ばしたりと一年に一度の行事に遭遇した!!昨年もこの時期にはタイ南部を走っていたな~。
チェンマイはこの行事が大国内でも有名の地で、毎年大勢の人が集まり、千以上のランタンをいっせいに空へ飛ばす。私たちもせっかくだからということで、ランタンを購入しみんながいっせいにランタンを飛ばすという現場へ。。。
ランタンはライスペーパーで作られている、とはいえ火を付けるところはもちろん油を使っているので、野鳥には間違いなく良くないだろうな。。。と思いながらも、ほかの人たちと一緒にランタンを空へ放ってしまった!ごめんなさい!と思いながらも、予想以上のランタンの数に圧倒され、鳥肌が立つほどの光景☆これは感動。
もちろん中には火がライスペーパーに燃え移り、頭上に落ちてくるものも。。。危ない!!
でも、本当にきれいだった!!

チェンマイは古都で、バンコクに比べると小さく過ごしやすい街。私たちは毎日のように自転車を乗り回し、この街を満喫。ここを移動する前に自転車屋さんにも何度も行き、自分たちでは直せないものを直してもらいに。。。
バンコク、チェンマイと思いっきり食も堪能し、体も大きく育ち、いよいよ北部へ。。。

と、山道を少し甘く考えていたか道を選び間違えたのか、予想以上に急坂地獄!!!
スリランカでは半分くらい荷物をカウチサーファーの家に置かせてもらうことができたのだけれど、ここチェンマイには戻る予定ではなかったので、重たいバックパックを自転車の荷台にいつものように乗せて走る。。。辛い!!私、こんなに体力なかったっけ???と何度思ったことか。何度止まったことか。。。
急坂に加え、ガブのタイヤがスリランカ以来始めてパンクし、パンクなら自分たちで直せるからまだしも、次の日には私の自転車のスポークが二本も折れてしまった!!と、山道で自転車ごとヒッチハイク。
もちろん悲惨なことばかりではなく、自転車が壊れてくれたおかげで出会えた人たちもたくさん!!小さな村に住むタイの家族の家に泊まらせてもらい、家庭料理(この付近では、もち米を食べる!うまかった!)や魚釣りまでも楽しませてもらった★
翌々日には、私の自転車も無事に直りさらに北部へ。。。
タイ人に教えてもらった、お勧めの道へと!!この道があまりにひどい急坂&ガタガタ道で、何度自転車を押すことになるかも知らず。。。
この日はカウチサーファーのいるMae Sae(マエサエ)へと向かっていたのだけど、あまりにひどい道のりにガブも私もヘロヘロ。。。辛い辛い道のりを走り続け、諦めかけていた目的地にようやくたどり着いた!!

私たちを待っていてくれたカウチサーファーの女性は一度チェンマイでも会っていて、タイ人のとっても素敵な女性★到着した日はすでに暗く、いくら南国タイとはいえ、ここ北部山中は朝夜と結構冷え込み、彼女は薪に火をつけて私たちを迎えてくれた。
彼女は仕事を引退し、自分の夢でもあったHome Stayを旦那さんと始めたばかりのようで、しかも彼女たちのこだわりは昔のようにできる限り自給自足で無農薬の野菜を育て、自分たちの家やHome Stay用の家は全て土でつくり、洗剤、シャンプーなども自分たちで無農薬のものを作って使っている、全てに感心してしまう。。。
ガブも私も彼女たちのような生活にものすごく興味があるので、話もたくさん聞かせてもらった。本当に素敵な空間を彼女たちは作り上げていて、ものすごくのんびりとさせてもらった☆本当にRelaxにはお勧めの場所!!

。。。と、そろそろ次へと出発しようかとしていた前日。。。
ここ最近おへその左側が少し痛いな。と、筋肉痛だとずっと思ってた痛みがあった。そしてご飯もたっぷり食べられるし、大したことはないと・・・
しかし、この痛みが歩くのも辛いほどの痛みに変わり、急にへそからヘドロのようなものが・・・膿だ!!
へその周りも結構腫れ上がり、富士山のような形になってきてへそから噴火!!!
この痛みでは自転車は無理だ。。。ということで、山から三時間ほどかけてチェンマイまで医者に行くことに。
まずは彼女たちがお勧めの、自然治療を行う中国の漢方クリニックへ!
医者はわかりやすく説明してくれ、結局化膿がひどいということで抗生物質を摂取した後、漢方摂取とのこと。またまた山に戻り抗生物質を飲んで安静。三日経っても四日経っても一向に良くならず、むしろ痛みはひどくなるばかり。。。と、もう一度チェンマイに戻り、今度は大きい病院へ。。。

化膿の原因は嚢胞(のうほう)ではないかと言われ、菌は外からか体内からかはわからないと。これは日本に居たとしてもありえることと。
それにしても痛すぎる。。。先生早く何とかしてくれーーーと、何度叫びそうになったことか。
とりあえず超音波で化膿している範囲を撮影し、急遽小さな手術に!!
隣の普通の小さな部屋に連れて行かれ、部分麻酔と言って、炎症しているへそに何ヶ所か麻酔注射を打たれた。。。これがめちゃくちゃ痛い!!痛いに決まっている!
私が痛みのせいで医者を殴らないように看護婦さんが私の震える手を抑え、私は麻酔が本当にかかっているのか不安で不安で。。。
医者は大きなピンセットのようなものを使ってグリグリとへその中から膿を出そうとしている。。。
ギャーーーーと叫びたくなるほどの感覚。しかも炎症のせいで痛みがある場所がたくさんあって、麻酔が信じられない!!
と、地獄の短時間手術は終わり、変な汗をたっぷりかいた。。。
この怖い怖い手術だけでは全て膿を出し切れず、しかも他にも可能の恐れがあるところがあるかもしれないので、その場合は大きな手術が必要と。。。
とりあえずは、へそ周辺の残りの膿は違う抗生物質で消えることを祈り、その場合は手術も必要なく、化膿が止まり手術の傷口が閉じれば今までのように自転車も走ってOKだし、暴れてもOk!と。。。傷が残らないようにと先生はへそを切ってくれ、そこにガーゼを詰めて膿が出るようにしていて、そのガーゼを毎日取り替えに病院通い。。。これがまたまた痛い!!
ガーゼをへそから抜き出し、へその中をピンセットとガーゼで消毒した後、さらに新しいガーゼをへその中に入れ込む・・・拷問だ!!と、痛みには強いはずの私も毎日消毒後はヘロヘロ。
でも、強い抗生物質のおかげか、炎症もだいぶ治まってきて今は回復傾向!!
予定よりもかなり長い休憩になってしまったけれど、ここで全ての膿を出してしまいたい・・・!!

もう少しここチェンマイで膿を出し、またまた元気に自転車で日本に向かいたい!!

Donnerstag, 11. November 2010

うますぎるバンコク!

自転車用のダンボールを探し回って、ようやく手に入れた。。。
スリランカからタイの首都バンコクへ飛ぶのに、私たちの自転車ももちろん一緒に飛行機へ!!
でも、自転車は部品を外してダンボールに入れなくては。。。
荷物は一人30kgまでOK!ということで、私たちの現在の家でもあるテントや寝袋、少ない下着や洋服を合わせて一人約10kgずつ+自転車20kgで、ちょうど30kg!!
こんなにスムーズにチェックインが済むとは思ってもいなかった☆本当にラッキー!

と、夜中にスリランカを出発して約三時間半ほどでバンコクに到着。ここからが問題。。。
タイの友達(ノピ)が途中の駅まで迎えに来てくれるという。空港で自転車をダンボールから出して組み立てる前に、最近開通したというスカイとレイン(空港と街を結ぶ)に自転車の持込が可能かどうかを聞きに。。。
すると、自転車は不可!!との答え。。。ダンボールに入ったままなら可能だけど、早朝でラッシュの時間に当たるので今は駄目です!10時以降なら。。。との答えが。え~!!空港からの電車なのだから、大きな荷物やスーツケースの客は多いはず!!荷物だけど車両はないの。。。??ない!!との答え。

友達も既に他の駅で待っているし。。。10時まではまだ何時間かある。タクシーやバスを確認しに行ったけど、プラス自転車料金でものすごい金額を言ってくるし、自転車を組み立てて走るにはかなりの距離と時間が。。。と結局10時まで待つことに!
と、待つこと数時間。大きなリュックを背負って、さらに自転車の入った大きなダンボールを必死に押しながら駅のホームを小走り。友達の家まで乗り換えは二回ほど。。。リフトがあるところはまだしも、ないところは階段を大きなダンボールを引きずって、冷汗をかきながら降りる。
たくさんの人が私たちの押している大きなダンボールを不思議そうに見つめている☆
不恰好だって、不細工だって何だっていい、とにかく私は早くたどり着きたくて仕方がなかった。。。
それにしても、タイ人は親切な人が多い!!駅員さんの対応はもちろん、お互いを助けようとする精神が強いような気がする。これは前回も感じたこと。。。
と、大変ではあったけれど思っていたよりもスムーズに友達が待っている駅に到着!!
もちろん、荷台が付いている小トラックで!!ありがたい☆

ノピ家族も本当に暖かい人たちで、贅沢にも私たちに一部屋与えてくれ、トイレに行きたいときはもちろんいつでも使えるし、臭う時にはいつでも水浴びができるし、テレビもパソコンもいつでも使える。。。
私たちにとっては本当に贅沢な生活。。。ありがたい!!!
ここバンコクでは食三昧はもちろん、そしてこれから自転車で行こうとしているラオスと中国のビザの申請の為に大使館に行かなくては。。。

ここバンコクではオーストラリア、バリでも再会を果たした、ドイツ人&チェコ人カップル(自転車でドイツに向かっているクレイジーな二人)JensとZusukaにまたまた再会!!
彼らはタイの後はカンボジア、ラオス、ベトナムそして中国を通って、ヨーロッパに向かうという。
私たちも今後の予定を立てなくては。。。と、話し合った結果ここバンコクから電車で北のチェンマイに向かい、そこから自転車でタイの北部を回ってラオス、中国に入り、日本に向かう予定。。。を立てた☆

私たちがインドにいる時に起きた中国と日本船の衝突事件がきっかけで、私の中国ビザ獲得も難しいのでは。。。と思っていたけれどスムーズにガブと同じ一ヶ月ビザが取れて、延長は中国国内で。。。ということ!
中国人が嫌い、とか日本人が嫌い、とかいろんな意見や考えがあるのだろうけど、私は自分の目で見て相手を知った上で、嫌いだとか好きだとか言いたい。
でも、色々な要らない情報までが周りを巡っていて、たくさんの人たちが固定観念を持ってしまうせいもあるのかもしれないな。。。どっちが善い、悪いとか私にはよくわからないけれど、どこの国の人だから嫌いだとか、そういう判断はとっても悲しい。。。そこで、先には進めなくなってしまう。

私たちの友人ノピは、旨いものをたくさん知っている!!ヤバイ。。。でも旨すぎる。。。食べれちゃう!ここにはまだまだ安値で旨いものがたくさんある☆自転車もこいでいないのに。。。食べまくり!!
ここバンコクでノピやJens&Zusukaと一緒の時間を思いっきり楽しみ、次の自転車の旅へパワーを蓄えなくては。。。

Montag, 1. November 2010

山越えた。。。

スリランカの山を越える途中、スリランカ人の家族(息子がカウチサーファー)の家にお世話になった!!!
彼らの家は丘の上にあって、紅茶葉の畑に囲まれている☆セイロンティー!!
彼らの家では、家庭料理をご馳走になった。。。スリランカ料理はほとんどがカレーとチリを使った料理で、ご飯を大量に食べるけれど、小麦粉を使った料理も多い。だからお腹も出ちゃうのか??
意外にもパンをよく食べる!!そして、ストリングホッパーという名前の麺をカレーにつけて食べたりもする。この麺は日本のそうめんに似ている★もちろん手で食す!!
ガブと私はスイス料理と日本料理を彼らにご馳走することになり、ガブはジャガイモの料理ロシティー、私は親子丼を作ることに。。。
でもでもでも、毎回辛い食事をしている彼らのお口には親子丼は全く合わず、チリをがんがんかけてどうにか飲み込んでいた。。。ガブと私だけばくばく食べて。。。

スリランカ人の生活の一部を少し覗かせてもらった後は、首都コロンボに戻るために山越えへ。。。
急坂は覚悟していたけれど、山道の主要道路でこんなに道が悪いとは思ってもいなかった。。。!!穴ぼこだらけで、しかもトラックやバスもたくさん走っていてごちゃごちゃ★
それでも、ここを越えるしかない。。。と必死に鼻の穴を膨らませてどうにか山のトップへ。。。と、下りは更にひどい道になるとは。。。
下りで道が凸凹は、自転車にも負担がかかるし、腕もかなり疲れる。。。
せっかく景色はきれいなのに。。。ものすごい大きな滝が真横にあるのに必死に道を確認するために下ばかり見て走っていた。。。
と、どうにか長いひどい道のりを越えて首都コロンボに近づき、その日はラッキーなことに川で水浴びができ、洋服のまま汚い身体ごと水につかった☆

次の日は交通渋滞のひどいコロンボに到着!
静かな小さな村から騒がしい大きな町へと戻ってきた。。。!!大きな町はあんまり好きじゃない、特に自転車で走るのは。。。バスやトラックがものすごいスピードで私たちから擦れ擦れのところを走り抜けていく。。。

スリランカという国を自分たちの目で見て、自分たち自身で感じることができ本当によかった。。。スリランカだけではなく、こうして旅ができることは本当にラッキーだと心から思う☆

もちろん、旅が好きじゃない人もたくさんいるし、人それぞれの旅の仕方や感じ方がある!この旅に出てよく感じることは、スイス人であるガブや日本人である私は本当にラッキーなことに、海外へ旅に出られるチャンスがあるということ!!金銭面が大きいのだろうけど、国によっては国から出られない人たちがたくさんいる。。。
ガブも私もこうして他の国を自分たちの目で見て肌で感じることができて、本当にありがたいことだと。。。三日後には自転車を持ってタイのバンコクへと戻る予定☆

近々自分たちの国もこの目で見て、自分たちの文化を知ることができたらいいな!!

Dienstag, 26. Oktober 2010

自転車こいじゃうパート3

インド最後の朝食に大好物の納豆&味噌汁をMimiにご馳走になり、スリランカにやってきた。。。

この旅にでる前はスリランカの場所もどんな言葉を話すのかもまったく知らなかった。セイロンティーがスリランカの紅茶ということさえ知らずに飲んでいた☆つい最近まで内戦があった国でもある。どんな国なんだろう。。。
首都コロンボに到着し、カウチサーファーの家へ人に尋ねながらバスを乗り継いで向かう。インドから来たせいか人の多さにも驚くことなく、顔立ちも肌の色もインド人と似ていて、むしろインドから他の国に来たという実感さえわかなかった☆
ガブも私もここスリランカでは自転車の旅パート3を考えていたので、到着して次の日には早速自転車を探しに町へ出て、何件かの自転車屋を回った。中古でいいものがあればと探したけれど、値段の割には条件が悪いものが多い。一見のお店で料金に合わせて新車を組み立ててくれるといい、中古の値段ともあまり変わらなかったので、考えていた値段よりも高額ではあったけれど、新車だしこの後タイに戻ってまた自転車を乗る予定でもあったので(自転車も持っていく)約8000円の新車のマウンテンバイクを購入。日本でこの金額でマウンテンバイクなんで買えないだろうけど、この旅&スリランカの値段ではかなりの奮発!
自転車を組み立ててもらっている間に細かい他の材料(リュックを荷台に載せるための木の棒やビニールシート等)を探しに。。。
スリランカに到着して次の日には自転車が見つかり、4日後には自転車の旅が始まるとは。。。
もちろん首都コロンボの町も材料をそろえながら見学。町はやっぱり町だった。。。
自転車の旅が早速始まり、ラッキーなことに空港近くのカウチサーファーの家に私たちの要らない荷物を置かせてもらえることに☆ということで、今回は少し身軽に自転車がこげる!!!

スリランカには一ヶ月間の滞在。まずは西側のコロンボから内陸の山を少し通って東側に向かうことに。自転車の旅は久しぶりではあったけれど、町の車やバイクのごみごみにも驚くことなく、排気ガスで顔を真っ黒にして大きいと思っていたコロンボの町も、あっという間にすり抜けて二日後には山道へ。。。かなりの上り坂が続いて早速モモも更に立派に育ってきているのを感じながら登りきった。

ここスリランカにはたくさんの国立公園があって、野生の象さんやレオパード(日本語で豹?他の動物?)珍しい種類の鳥がたくさん生存している。もちろん、象さんなどが住む国立公園には自転車で入っては行けず、観光客向けにジープサファリが用意されている!もちろん、ガブも私もここで悩む。。。象さんは見たいけれど自転車でも入れず、キャンプも公園内ではできないのでジープに乗るかかなり悩んだ末、他にもたくさんある国立公園でまた考えようということで、有名な国立公園を通過している途中、夜にしかめったに姿を見せないという象さん家族が昼間に公園の横を通っている主要道路わき(車があまり通っていなかった)の森で草をもりもり食べているではないか。。。とガブと私は8頭の野生象さん家族を道路からこっそりと眺めることができた。。。本当にラッキーだった☆★子供の象さんはお母さんかお父さんかわからないけれど、後ろをついて回ったり、いたずらな小象は少しだけ離れて草で遊んだりと、ちょうど疲れていた私たちをどんなに癒してくれたことか。。。
この日は野生の象さんだけではなく、野生の孔雀や鹿、変なサル(向こうも私のこと変と思っているだろうけど。。。)や蛇、カメレオンも見ることができてガブも私も野生動物を大満喫!!
自転車をこいでいると色んな虫がぶつかってくるけれど、今回は顔面に蜂がとまってきて、向こうもあせったのか思いっきり鼻の横を刺し、私も自転車をこぎながらこの蜂をはらうのに必死で、はらったと思ったらものすごい激痛が顔面に。。。誰かに顔を殴られて顔面骨折でもしたような痛み!!
急いで自転車を止め、ガブに見てもらうと顔面にまだ針が刺さっていてピンセットで抜いてもらった!でも、この後三日間ほど腫れと痛みに苦しみいまだに針の刺さった後が痛い。。.

最近まであったという内戦の気配はあまり感じず、ただ自衛隊や警察がいたるところに居て、銃を持って立ってはいたけれど、人々の顔には笑顔がこぼれていて真っ黒い肌に真っ白な歯を見せて笑っている人が多い★その笑顔の後ろにはもしかしたら辛いことも隠れているのかもしれないけれど、戦争が終わってハッピーに生きているという感じは伝わってきた!

西側に来て乾燥と日差しの強さにガブも私もヘロヘロになりながら、しかも主要道路であってもものすごい凸凹の道が多く何日かつらい道のりが続いた。。。ようやくたどり着いたビーチで少しのんびりすることにし、海を満喫!

ここスリランカの人たちも食事は基本的にカレー。野菜のカレー、魚や鳥のカレーと一緒にものすごい量のお米を右手で混ぜて食べる。チリをたくさん使っていて、辛いものは口から火が出るほど辛い。。。スリランカの人たちはご飯だけではなく、パンも多く食べる習慣がある。炭水化物を多く取るせいなのか、手を使ってものすごい速さで食事を取るせいなのか、お腹がものすごい大きな人が多い!太っているというより、お腹だけ異常に出ている人をよく見かける。。。ビールっぱらというより、お米っぱら??

と、時間もどんどん過ぎていき、残りあと一週間★東側から西側のコロンボ北にある空港に向かうために、山越えをまたまたしなくては。。。

Montag, 4. Oktober 2010

インド人、うそついた??

ウソをついているつもりはないみたい。。。
ただこの人達は適当なだけなんだと思う☆もちろん、日本人だって私も含めて適当な人はたくさんいる。でもここインドでは何度適当な対応をされたことか。。。
人はとても優しいと、ガブもルーカスも私もみんな共感。ただ本当に適当で、道を聞いても知らなければ知らないって言えばいいのに、適当に答えたり。。。
バスでも私たちが聞いている場所と全く違うところで‘ここ’と言って降ろされたりすることも多々あった。
でも人を助けようという精神は大きいようで、何か困っていたりするとすぐに助けようとしてくれる、本当にやさしい人たちがたくさん!

インドで一番私が感じたこと、特に日本人の私にとっては大事な言葉だと思っている‘ありがとう’そして‘ごめんなさい、すみません’この言葉がインド人は言えない、絶対に言わない。。。
人口がものすごい多いインドではバスや電車はもちろん、道にもうじゃうじゃと人だらけ。
彼らは人にぶつかっても足を踏んでも、そのまま踏み続けていても、当たり前。。。インドに来て生まれて初めて、数え切れないほど足を踏まれた私。‘すみません’なんて言葉、一言も聞いたことがない。
乗物に乗る時も降りる人を待つなんてことは考えない、一気に乗り込んできて結局降りる人と乗り込んでくる人で詰まってしまい、どうにも身動きができない状況。。。何故???
レストランやお店、ゲストハウスなどでもお客に対して‘ありがとう’なんて言葉はない。‘Please’なんて片手で数えるほどしか聞かなかった。
インドは好き。インド人は優しい人が多い。でも、‘ありがとう、ごめんなさい’くらいは言える人たちであってほしい☆ただ考え方が違うのかもしれないけれど。。。
あと、気になったのはゴミ問題。東南アジアでもよく目にした、ゴミを当たり前のように道や海どこでも構わず捨てる。。。なんでだろう??
せっかくインドにはたくさん美しい大自然が残っているのに。。。きれいなはずの川にもゴミがたくさん捨てられていたり、大自然の山々で歩いている時も何度ゴミにがっかりさせられたことか。
私たちが寝台列車に乗っているときに、同じ寝台席にいた60歳のインド人のおばさま。
私が次の駅でゴミ箱にゴミを捨てようと取っておいたゴミ、‘なんで窓から投げないの??’インド人は当たり前のように外がゴミ箱かのように、すべて窓から捨てていた。。。このおばさんは、むしろゴミ箱に捨てようとしている私を不思議がり、私が目を離したすきにそのゴミを窓から投げていた。。。
ごみに対する感覚が違う。。。ゴミが溜まってそこから菌が発生して、コレラなどにかかってしまう人たちが多い。そんなことも分かっているはずなのに!!
しまう。小さな子供たちも当たり前に親がするようにゴミをどこでも構わず捨てている。
一人ひとりがゴミに対する考え方が変わらなければ、このインドのゴミ問題は一生変わらず人口が増えると共にゴミもものすごい量になるんだろうな。。。と、東南アジアで感じたことと同じことを感じた。

北インドから南インドへ。
インドでモリモリ働く友人のMimiのいるバンガロールで,清潔なトイレや台所が使えるというだけでも贅沢なのに、洗濯機まで使えるという生活をMimiにどっぷり甘えて送ることができた。さらに南に下るのに、余分な荷物を置かせてもらい、まずはPondicherryという昔はフランスの植民地だったというところへ向かった。。。
そこにはフランスにあるような建物がたくさん残っていたり、街の中心から16kmほど離れた所には自然が残っており、そこにはAurovilleという国籍も宗教も持たないコミュニティがあり、学校や病院など生活する上で欠かせないものだけを造り、暮らしている人たちがいる。本当に木々に囲まれた素敵な場所で、‘国籍も宗教も持たないみんなが平等’という考えから作り上げた村はとても興味深いものがあった。
ただ村人が増えるにつれて、始めの目的が薄くなってしまい、このような集まり自体が宗教っぽくなってしまわないのかなぁ~と思ったけれど、彼らの努力でここまで大きくなったと思うと、やっぱり感心する。
Pondicherryからインドの最南端に行き、直射日光を浴びながら自分たちがそこに立っていることを満喫しようとしたら、隣でボートの陰で隠れているつもりの漁師が大きい方の用を大自然の海にしていたのを見て脱力。。。
せっかく北の山脈から南に来たのだから海を満喫しようと考えていたけれど、やっぱりここは雨季。。。わかってはいたけれど、水も濁っているし、引き潮も強いみたい。ということで海辺を歩いて眺めて満喫!でもやっぱり日差しは強い。暑さから逃れるために内陸の高地へ移動。。。インドは紅茶で有名だった!北インドのダージリンティーやアッサムティー、南のムナールティー(これはあんまり有名じゃない?)ということで、茶畑へ。。。
雨はやっぱり降り続けたけど、日本の茶畑とはまたちょっと違ってインドの茶畑もきれいだった!やっぱり緑はいいなぁ~。
チャイ(ミルクティー)がインドでは有名で、ほとんどの人がそこにさらに大量の砂糖を入れてものすごい甘さで飲む。。。せっかく紅茶で有名なのに、そんなに牛乳と砂糖を入れたら茶葉の味が消えちゃうよ!!と思いながら私もそのチャイを飲んでいた。

三カ月一緒にインドを旅している、友人のルーカスがスイスに飛ぶまでもう少し。。。時間が経つのってなんて早いんだろう★
私たちは旅を始めてすでに一年以上が経つけれど、ガブと私の二人旅というより、いつも誰か一緒にいた。二人の時も誰かと一緒の時も同じように楽しいことを分かち合ったり、二人だから口げんかしたり、三人だから言いあいになったりすることもある。ルーカスやスベンはガブにとって兄弟のようなもの、私にとっても家族のようなもので何十年後かにはお互いのおむつの処理もするのかね。。。と。
インドにはベジタリアン(肉は口にしない)がたくさんいる。でも私たちの疑問は、何故体の大きな人がたくさんいるのだろう?。。。と。それは肉を口にしないとはいえ、揚げ物が多く、お米や小麦粉をものすごい食べる!!信じられないほど食べる。。。そりゃー大きくもなるはずさ!とこの三ヶ月間でわかった。
彼らは左手でお尻をきれいに、右手で食事をする。手で食事をすると早食いにもなってしまうような。。。と三人で話していたけど、それにしても左手と右手の使い分けは宗教からなのか、それともお国柄なのかいまだにわからない。。。知っている人がいたら詳しく教えてほしい!!
インドといえばやっぱりカレー!!でもやっぱりカレーにもものすごい油を使っている。私たちもインド料理は好きだけれど、自分たちの体も大きくなるにつれて、そして脂っこい料理に飽きを感じ、早くMimiのところに戻って自分たちで料理したい!!ということで、ルーカスがスイス帰国前にMimiのところでまたまた甘えさせてもらった!!野菜をいっぱい使った日本食やスイス料理を堪能する毎日。。。あ~贅沢!!しかも、私の大好物、世界で一番か二番目(納豆かどっちか。。。)に好きな亀田の柿の種をMimiに分けてもらった☆あ~幸せ!!!!
ルーカスもあっという間だった私達とのインド旅を終え、スイスに飛び立っていった。。。
ガブと私はもうすぐインドからスリランカへ。。。
この旅を始めるまでは失礼なことにスリランカの場所さえも正確に言えなかったくせに。。。
地図をインドの最南端から右を見るとスリランカがあります!北海道の約10倍の大きさ??かな。
スリランカはまたまた自転車の旅にしたいと考えているところ!どんな国なのか全く情報もないけれど、内戦のことなどはしっかりチェックしたいけど、行ってみないとやっぱりわからない。。。
自然がたくさん残っていて、色々な動物が見ることができたら嬉しいな☆

Montag, 23. August 2010

自然の美しさ&恐ろしさ

歩いて歩いて歩きまくった11日間。。。
トレッキング出発地点まで、ものすごい標高をボロバスで登っていく。。。それにしても崖崩れがすごく、何の命の保障も無く運転手は荒い運転で横に崖から転がり落ちたトラックを何台も見ながらどんどんと登っていく。。。私たちもここから落ちるかも!!と何度も冷や汗をかいた。
どうにか無事にトレッキング出発地点に辿り着き、危険なバスの長旅で疲れていた私たちは一日目は短い距離を歩くことに。
それにしても私たちのリュックが重すぎる。。。トレッキングをする殆どの人たちは荷物運びの馬やドンキーを利用しているけど、私には二人のたくましい男がついているし、ということで私たちは自分たちで荷物を運ぶことに!
一人15kから20kの荷物!!食料や水ももちろん自分たちで担いで。。。5100mの山をこの荷物で越えられるか心配だったけど、自分たちで自由にトレッキングして料理もすべて自分たちですることによって、辛い分満足感も十分に味わえた!!
この時期は雨季とはわかっていたけど、毎晩のように雨!!ラッキーなことに歩いているときは雨がほとんど降らず、景色も十分に満喫できた☆
ヒマラヤのほんの一部ではあるけれど、6000m級の山々が周りを囲んでいて、景色を眺めながら必死に一歩一歩進んでいく。。。高所に身体を慣らすために少しずつゆっくりと歩くけど、だんだん身体が重くなっていくのを感じる。
歩いているときは食べ物のことばかり考えていて、夢にまでも私の大好物の納豆の夢を見た☆スーパーに納豆を買いに行ったら売り切れ!という夢。。。ひどすぎる!
トレッキング中はすべて自分たちでご飯やパスタを料理して毎日食事を楽しんでいた☆他にはルーカスがスイスから持ってきてくれたチーズフォンデュをヒマラヤ山脈を眺めながら堪能!贅沢だった!!!

雪解け水や氷河の水が流れる川で、異臭が漂う私たち三人は水浴びをして、大自然で用を足し毎日毎日鼻の穴を大きくして歩き続けた。。。いやぁ~本当に長い道のり。足は水ぶくれと靴擦れだらけで、テーピングをしまくり☆
5000m以上の山越えも思っていたよりはスムーズに歩け、三人とも高山病にもかからず毎日歩き続くことができた。
4000m以上の高所にある小さな村で一泊★この日はテントではなく民家に泊まる事に!!
彼らの生活は本当にシンプルで、馬糞を乾燥させてそれを使って火を起こしたり、食事は毎日のようにご飯だけ。少しサフランのような味付けをしたスープをご飯にかけて食べる。野菜もあまり無く、卵はめったに手に入らなく肉なんてない。
私たちは食事にしても生活用品にしても便利なものがすぐに手に入る生活を送っているけれど、彼らはそんな便利な生活用品の存在さえ知らないんだろうな。。。と考えさせられた。
栄養盛りの子供たちにとっては肉や卵、最低限の野菜が手に入らず痩せている子供たちが多かった。。。
ここ北インドは、同じインドでも顔ぶれがまったく違ってインド人というよりもアジア系の顔が多い。日本人と間違えて、思わず日本語で話しかけそうになってしまうことも!!もちろん、私もよくチベット人に間違えられたけど。。。
インドのチベットといってもいのだろう★チベットからの移民が殆どのようで、チベット仏教のお寺もたくさんあり、お坊さんもたくさん見た。
残念なことに、すべてのお坊さんが純粋ではなく普通にゴミを大自然に投げ捨てたり、お寺を訪ねてもお金の催促をしてくるお坊さん、上から目線で話をするお坊さんもたくさんいた。。。同じ人間なのかもしれないけれど、私にとってものすごく残念に感じた。もちろん、純粋に修行をしているお坊さんもたくさんいるのだろうけど。。。
高所で小さな小さな村での生活は私たちにとってものすごく興味深かった。。。
ヤックチーズ(牛みたいなんだけど、牛じゃない。日本語ではないのかな??)を歩いている途中で、小さな男の子が私たちにわけてくれ、初めて味わった★なかなか旨かった!
私たちのトレッキングゴール地点まで後二日間くらいというところで、地元の人たちからの情報で私たちが次に向かおうとしている更に北のLehというところで大洪水が起こり、外国人観光客を含む185人以上の人が命を落とし、400人以上の人が行方不明と。。。
Lehという場所はものすごい乾燥地帯で、年間降水量もものすごい少ないはずのところ!全ての人が信じられなかったはず。。。それでも自然は何が突然起こるかわからない。
私たちのトレッキングルートでも、川の水量がかなり多く小さな橋が壊れていて、何度と無く渡るのに命がけのところもあった!それにしても私たちは本当にラッキーで、あと一週間ほど早くLehに着いてトレッキングに行っていたら私たちも命を落としていたかもしれない。。。
大雨はほんの15分くらいだったらしい。。。この短い時間で無いはずの川ができ、家を丸ごと、キャンプをしていた人たちはテントごと、たくさんの命を飲み込んで流れてしまった。。。
私たちもすばらしい自然を眺めながら、実際にどんなに大変なことが起きたのかもわからずトレッキングの満足感とものすごい疲れを感じながらようやく目的地に着いた☆
Lehに行く道は大洪水の影響で、たくさんの端が崩れ道は全て通行止め!ということは、同じ道をまたトレッキングで戻るのが早いか。。。嫌だぁ~!!!
とりあえず疲れた身体を休ませている間に道が開くのを待とうということに。。。と、3日後にはどうにか道も通れるという情報が!!ラッキーなことにLehからジープで来ていたスイス人の女性がガブとルーカスが同じスイス人ということで、一緒にLehまで乗せてくれるということに☆ありがたい!!
ガタガタ道を3日間かけてLehへと向かい大洪水の被害から一週間後のLehに辿り着いた。
年間からっからの川には大量の水が流れ、途中の小さな村は大量の水が流れた跡と潰れた家々、崩れた橋の跡。。。空気のきれいなはずの3500mにあるLehの町は埃まみれで、たくさんの人たちがマスクをして崩れた家の周りを歩いている。崩れた家の中には潰れた車が流れ込んでいたりと、どんなにすごい洪水だったかが一週間以上経った後でも良くわかった。。。
Lehの周りにある小さな村は村全体が流されてしまって、跡形もなくなってしまったという。。。
トレッキングどころじゃない!!
ボランティア活動も村で行っていて、私たちも二日間参加することに★
家の中に流れ込んできた土や、どこから流れ込んできたのかここにあるはずの無いものを家から外に運び出す。。。半日間そんな作業をしていても、そうとうクタクタになる!彼らはここ一週間ずっとこんな作業をしているのだろう。。。私たちが手伝った家はまだいい方で、彼らの姉妹はたまたま大洪水があった夜にこの家に来ていたようで、彼女の家と村全体が大全滅してしまったという。。。命拾いはしたものの、全てを失ったと、目に涙を溜めて。また彼らの目の前にある家は13歳の娘を目の前で失ったと。。。
私たちはそんな被害跡を目の前にしていても信じられないほど。その夜に何が起こったのか。。。

大自然を満喫した11日間の後に、自然による大被害を目の前にし考えさせられた一週間。。。
Lehから私たちの友人スーさんのところに置いた荷物をとりに戻るのにまだまだ道がふさがっていたり、車で3日間ほどかかるという。。。
どうにか見つけたジープで予定とは反対方面に向かい、暴動が起こっている村を通過せざる追えず。
この村では毎日のように怪我人や死人が出ているということで、ジープの運転手もかなり慎重に!どうにかその村も通り抜けることができ、約40時間ほどの車の移動でヘロヘロになりながら、スーさんのいるダラムサラに無事に辿り着いた!!
あ~!!久しぶりのベット★ガブとルーカスと三人で大イビキをかきながら次の日の昼まで寝かせていただきました。。。

Donnerstag, 15. Juli 2010

テロ事件???

『Fire!!!Fire!!!』
デリーからパタンコット(ダラムシャラへ)行きの夜行寝台電車に乗り込んだ私たち。。。出発して三分も立っていないくらいに、一人のインド人男性が何か行っている。
するとインド人は自分の荷物を持って大慌てで電車の外に出ている・・・何故??
私たち外国人はキョトンとして何が起こったのかわからない。通りかかったインド人に聞くと、『Fire!!!』 というので、とりあえずガブが外に様子を見に行くと、本当に一番前の車両が燃えているという。私たちも前の方の車両だったので、荷物を持って真っ暗な外に出ることに。。。
本当だ・・・電車が燃えている。それにしても足元も見えないし、どこから他の電車が来るかも分からないし危ない。とにかくデリー駅を出発してまだ間もなかったので、足元に注意しながら暗闇を汗だくで歩きながら駅まで戻った・・・
何が起こったんだろう??よく内戦やデモが起こっているインドでは当たり前なのかな・・・??と考えながらも、私たちの電車からはケガ人も出なかったみたいだけど、誰も何が起こったか説明ができる人、する人が居ない。
炎が上がってから一時間半ほどすると、駅係員に情報を聞いていた私たちに電車が出発するから急いで10番線に行け!!と。
さらに汗だくになって走って電車に乗り込むと、さっき炎が出て止まった電車で、燃えた車両だけ切り離したのか通常に走り始めた・・・大丈夫なのか???
駅員にさらに何が起こったのかを聞いても、大丈夫!とだけ言って何も説明してくれない。
とにかく無事ならいいけど・・・とその事件で遅れはあったけど、予定通りパタンコットの駅に到着。
本当によかったぁ~!!
駅からバスに乗り換えて更に3時間~4時間ほど走ると、友達のス~さんが住むBhagsu(バグスー)に到着。インド人女性が着ている洋服を着たス~さんが笑顔で出迎え!!!
二年ぶりくらいの再会!!!うれしい!!
ここはインドの大都市とは違って、空気はうまいしちょうどいい過ごしやすい気温☆
早速次の日は、チベット人の神様ダライラマの住居があるという大きなお寺に案内してもらった!残念ながら多忙なダライラマは、ここに居ることが少ないようで逢えるチャンスも滅多にないみたい・・・
ここDhalam Shala(マクロードガンジ)がチベットから亡命してくる人たちの受け入れ場所になっているという。なんて切ない話だろう・・・
ここから見える山のすぐ後ろには、世界の屋根と呼ばれるヒマラヤ山脈が聳え立っていて、チベットはその後ろ。。。彼らはどんな想いで自分の国を去らざる負えず、どうやってこのヒマラヤを越えてくるのだろう・・・今もたくさんのチベット人がここまで辿り着くのに必死でヒマラヤ越えをしているという。

ごちゃごちゃした大都市から抜け出してきた私たちはホッとしたのか、ガブとルーカスが交代で体調を崩し始めた。。。何故か私だけ平気??
ガブは体調回復したと思ったら、またまた寝込んでしまったり、ルーカスはスイスでの仕事や学校の緊張が解けたのか、体が弱っていたようでもしかしたら水(山水だったけど)かな?熱と腹痛が・・・彼を襲ってしまった。
ということで、高山トレッキングに行く前のトレーニング目的でここに来た私たちだけど、しばらくは休養!!しっかり体調戻してから山に篭りに行くことに・・・
私はス~さんに逢えることを楽しみにしていたから、久しぶりにお互い片言のおかしな日本語で会話。。。もちろん彼女も日本人だけど!!
ここでしばらくうまい空気を吸って、たくさんカレーを食べて(体臭も変わってしまいそうだけど)男性人たちの体力回復を祈って・・・一人大きく育っております。

Donnerstag, 8. Juli 2010

インド人もびっくり??

”インド人、嘘つかなぁ~い”という言葉はどこから来たのだろう。。。??

インドで一番、二番に大きな町Mumbai(ムンバイ:Bombai)に到着!
空港から直接カウチサーファーの家に向かうことに。。。Pneet(プニート)というパイロットを目指す25歳の彼と彼の両親が住むアパートにお世話になることに☆

Pneetのお母さんは私を娘と呼んでくれ、既婚女性の印であるビンディーをおでこに張って、インド人女性の化粧に欠かせない目の下のラインを私の顔を突然つかんで私の目にもラインを引いてくれた。。。私の化粧は日焼け止めだといったのに。。。お化けみたいだったけど、彼女の優しさを受けたかったのでそのまま外出。。。インド人もびっくりだよ!!
お母さんは一日中台所に立ち(仕事もしている)私たちにチャイ(インドの紅茶)とインド料理をもてなしてくれた☆どこの国のお母さんも、母親としてはみんな同じ!!

買い物は大きなスーパーマーケットなどなく、小さな小さなお店で小麦粉や牛乳、パンを購入。野菜や魚は道にたくさんのマーケットが出ていて、新鮮なものを毎日購入している。私もガブも一緒にお母さんと買い物に行って、彼女たちがどのように生活しているのかを見ることができた。

インド料理といっても、カレーばかりではなく野菜をたくさん使った料理や、小麦粉を使ったナン(パン)やチャパティーなどなど、お母さんはちょいちょいと料理してくれ、私たちの体も数日で見る見ると巨大化していった。。。

お母さんのリクエストで、私とガブが夕飯を作ることに!!
息子のPneetがいつも母親のインド料理に飽きているから、何か違ったものを挑戦しなくちゃ!!と。。。
こんなにうまい料理意飽きるなんて。。。贅沢だ!!
インドも日本と似ていて、未だに女性が家事をすべてこなす家が多いらしい。。。みんなが同じではないだろうけど、Pneetもお父さんもまったく料理が出来ない。(しない??)

ということで、ガブがパスタを!私が日本食を。。。でも、食材が手に入らない!!
肉じゃがを作りたかったけど、ヒンドゥー教の人たちは牛を食べないし、Pneet家族は肉自体をあまり食べない。ということで、ミリンも手に入らないけど醤油は買えるという事で、肉なし肉じゃがを作ることに。
野菜好きなPneet家族は喜んでくれて、パスタも簡単!ということで、お母さんはたまには挑戦してみる!と。可愛いお母さん!
お父さんは72歳現役で小さな電気屋さんを経営している。(お母さんも一緒に手伝っている)
45年前には日本で輸出業の仕事を1年半位していたらしく、当時は日本人ビジネスマンがとても親切にしてくれて現在も大の日本ファン!といっていた。
お父さんは息子のPneetによく『日本人は嘘つかない!』といっているという。。。なんだか笑える!私たちはインド人は嘘つかない。。。っていっていたような。。。ただのギャグなのかもしれないけど☆

この時期インドはモンスーンに入っていて、ほぼ全域が大雨。。。(モンスーンが外れているところもあるみたいだけど)ムンバイもほぼ毎日大雨!本当にバケツをひっくり返したような雨。。。
でもせっかくだから、ムンバイの街を拝見することに!観光名所でもある五つ星ホテルのTaji Mahal(一昨年爆発テロ事件もあった)でトイレを使用し、Gateway of India(インド門)を見物した。

Pneetの家を出る前日、ガブが急に高熱を出した!!次の日には17時間電車に乗って、ルーカスの待つ首都Delhi(デリー)に行くというのに。。。
電車はすでに予約済みだったので、ガブはフラフラになりながらも電車に乗りどうにかルーカスの待つDelhiへ到着!一年ぶりの再会だというのに、体調がよくなくとりあえずルーカスが見つけておいてくれた安宿へ!!
ガブは様子を見て少し休んでは見たけど、熱が一向に下がらない!ということで、マラリアやデング熱にかかっていたら大変なので、観光客にも有名&安心な医者を探して血液、尿&便検査をすることに!
ルーカスと私は心配していたけど、翌朝『お腹すいた~』とガブに起こされた。。。私よりも元気な様子??熱もしっかり下がって、検査結果も電話で聞くとまったく問題ない!!ただの風邪だったみたい。
よかった~!!!

ということで、私たちの目的であるトレッキングの出発地点になるDalam Shala(ダラムシャラ)へ夜行電車に乗って本日出発!!ダラムシャラは有名なDalaiLama(ダライラマ)が住むという場所。そして私の友人、スーさんも住んでいる!!会えるの楽しみ☆

インド経済は現在世界で7番目くらいで、ここ5年くらいでかなり景気が上がっているという。。。
しかし、どこを見ても貧富の差が激しく、むしろ貧困が激しいようにも見える。
世界ナンバーワン経済力になりつつある中国を見てもまだまだ貧富の差が激しい。どんなに経済力があっても、入ってくるお金はすべて同じ人間に行くのだろう。。。貧富の差はこのままでは一向になくならないのでは。。。と。
また、ここインドも東南アジアと同じようにごみ問題が大きく上がっている。
どこを見てもゴミ・ゴミ・ゴミ!!!!一人一人がゴミに対する考え方を変えなければ、増えるばかり。。。
どうなっているんだろう、この国は???というくらいムンバイもデリーも本当にゴミと、排気ガスだらけ。

インド人たちは。。。今のところ私たちは親切な人ばかりに出会っている。
女性はサリーなどを着こなしていて、すごく素敵☆たまにビックなおばちゃんもいるけど。。。
男性は多すぎる!!バスに乗っても電車に乗っても、男性の割合が女性の何十倍も多い!
中国では一家に子供は一人!インドは一家に二人!しかしどちらの国も娘は喜ばれない。男ばかり。。。だから性的暴行事件も多いのだろうか???

私たちは大きな街から早く脱出したく、ダラムシャラに行くのがとても楽しみ!だけどまたまた半日かけて電車とバスの旅です。。。世界の屋根ヒマラヤを目にすることが出来たらいいな~!!

Donnerstag, 1. Juli 2010

失恋??

20年以上ぶりに髪をバッサリと切りました。。。
インドに行く前にボサボサに伸び切った髪をどうにかしたくて、ここマレーシアでパーマ屋さんへ!!
最初は肩くらいに切られ、なんだかコケシカットで丸顔が強調されていたので、バッサリ切っちゃってください!と。。。
いつの間にかショートカットになっちゃった☆インターネットショップで待つガブのところに戻ると、目を丸くして私の髪を見つめるガブ。。。悲しそうだったけど、たまにはいいでしょ?いつも同じじゃつまららないし!と言ってみた。

昨日やっと念願のインドビザが取れて、明日の朝いよいよインドへ出発。
何が待っているのかはわからないけれど、スイスから来る友人のルーカスと三ヶ月旅をするのも楽しみ!!スイスチーズ&チョコレート持ってきてくれるかな~??

Montag, 28. Juni 2010

インドネシア、そしてインドビザ

スラウェシからバリへと友人に逢いに。。。

バリは10年位前に行ったことがあって、いつかはまた行きたいと思っていたところ。
マッサージの仕事をしてからはバリニーズマッサージも学んだので、現地でも学べたらなーとずっと考えていたけれど、実際にバリに行ってみると現在はものすごい観光地で、どこへ行っても観光客だらけ。。。もちろん観光客向けのマッサージ学校もたくさんできていた。
はぁ~残念。全てが同じではないだろうけど、マッサージを受けるにしてもちゃんとマッサージを学んだ人に当たるのはかなり低い確率。それでも価格は安いお店を探せば日本の何倍も安いから、お客さんだってたくさん★
散々悩んだ末、学校はもちろん現地でもう一度受けたかったクリームバスさえも受けなかった。。。
バリは同じインドネシアでも一風変わった島にも見える。
ヒンドゥー教の人が多く、お寺や民家の作りもすごく興味深い。。。私にとってはなんだか沖縄の家が重なって見えた。。。。なんでだろう??
観光客だらけの道から逃げ出して、裏路地に入ると民家やお寺からお香の香りがして、なんだかホッとすることもたくさんあった☆

再会の相手は、オーストラリアで自転車を走らせていたときに出会ったJenz(ドイツ人)&Zuzka(チェコ人)☆
彼らはニュージーランドからずっと自転車で走っている、とってもパワフルなカップル!
ガブと私は原付自転車を借りて、彼らが自転車で走っているところまで行き久しぶりの再会☆
久しぶりといっても2~3カ月位しか経っていなかったので、あまり変わってもいなく相変わらず彼らはモリモリと自転車をこいでいた。。。
バリでは4人でのんびりと一緒にワールドカップを見たりしながら楽しい時間を過ごし、ガブと私は次の旅の目的地であるインドビザ申請のためにインドネシアの首都ジャカルタへ。。。

ジャカルタではカウチサーファーのAbu(アブ)の家に一週間も滞在させてもらい、インド大使館(結局、ビザは大使館の情報ミスと申請期間が長すぎて申請できなかったけど)に行ったり、Abuや彼の友人たちと山登りに行ったりとあっという間に一週間が過ぎた。
ということで、私たちはインド行きの日程を変更せざる追えず、結局マレーシアのクアラルンプールに戻りインド大使館へ。。。
そして現在マレーシアの一番南Johor Bahruという場所で以前友人Sven(一緒に自転車の旅をしていた)も滞在したカウチサーファーの家にお世話になっていま~す!!
彼女の家にはSvenが置いていった自転車が未だにあって、スイスにいるSvenに彼の自転車と一緒にとった写真を送ってみた。。。Svenもまた旅に出たいんだろうな~スイスに帰ったばっかりだけど。。。
昨日はバスに一時間ほど乗って、シンガポールへ一日観光して来た。お隣の国なのに、何でこんなに物価が違うんだろうというほど、高かった!!
シンガポールはきれい過ぎる。。。私の勝手な意見だけど、なんだか人間が住んでいるところではなくロボットが住んでいるのではと。。。でも全ての建物が人間の手で作り上げられたものなんだけどね。。。一日観光だけではその国を知ることはできないだろうけど、数時間で私が勝手に感じたこと。きっと、人間が暮らしていくのには便利な場所なんだろうな~と。

まだビザ申請中だけど、明日はクアラルンプールに戻って待機。7月2日にはインド モンバイ行きの飛行機に乗っているはずだけど。。。

Donnerstag, 24. Juni 2010

Tana Toraja

宮崎駿の世界。。。ここTana Toraja(タナトラージャ)ではなんだか懐かしいような、そして何故だか宮崎駿の映画が頭をめぐった☆

タナトラージャにはハイキング目的で来たのだけど、私たちが到着してすぐに何人かの地元の男の人に声をかけられ、明日はここタナトラージャで有名な葬式があるからガイドをしてあげると。。。今でもここタナトラージャには昔からの文化や儀式が残っているようで、私もガブも葬式が有名だとは聞いていたけど、到着してすぐに声をかけられたので二日間の船旅でぐったりしていた私たちは、とにかく早く休みたく、葬式よりもハイキング情報がほしい。。。ということでガイドはお断り!すると、ハイキングガイドをつけなければ、彼らの言語を話せなければ道を見つけるのも大変だし、危険だという。
とにかくガイドはお断りして、自分たちでどうにかハイキング情報を入手しようと☆
翌日は地図とはいえないけど誰かの手作りのような村の名前が書かれた紙を入手し、片言のインドネシア語を覚え、レストランはもちろんないというので水と食料を購入。宿ももちろんほとんどの村にはないので、テントを張るにしても地元の人の家に泊まらせてもらうにも、水を分けてもらうにも、ここタナトラージャでは手土産を持って行くのが通常うのようで、(誰かの家を訪ねるのにも、手土産、もしくはお金を渡す習慣みたい)私たちも手土産用にお菓子を購入し、三日間ハイキングへと。。。

町から離れて一歩村に入ると、そこは別世界。。。
お米で有名なここタナトラージャには田んぼや水牛、そしてコーヒーも有名でコーヒー豆の木がたくさん!何よりもTongkonan(トンコナン)という米蔵や家として利用している独特の形をした建物が印象的で、すべての家に大小はさまざまだけれど必ずこのトンコナンがある。
このトンコナンは、お墓としても利用している。

ハイキング初日は山の上までどうにかたどり着き、夜中は雷と大雨に見舞われてテントの中でドキドキしていたけど、翌日は晴れ!しかし寝所がなかなか見つからず、日が暮れる寸前にどうにか一軒のお家に寝かせてもらえることに!!!
ここタナトラージャは決してお金持ちではないのだけれど、食料がとても豊かで生きていくのには困らず、のんびりと暮らしていて心も豊かな人たちがたくさんいるように感じた。お米を耕すのにも全て手での作業。コーヒー豆も豊富で、今までに飲んだコーヒーの中で一番味わったような気がする★挽いたばかりのコーヒー豆なんて本当に贅沢!!!

私たちが寝かせてもらったお家には年配のお母さんがいて、70歳くらいの彼女も毎日コーヒー豆や家畜の豚用の野菜を山にとりに行ったりと、とても元気!村を離れた娘を思い出したのか、翌日お別れをするときには私を娘のように抱きしめてくれた。

3日間のハイキングをたっぷり堪能して、町へ戻ると船の中で出会ったElni(エルニ)から電話があり、彼女の友達(船も一緒だった)のお爺さんのお葬式が翌日あるので一緒に行こうと★☆★ラッキーなんて失礼な言い方だけれど、この伝統的な儀式で行われる葬式が見られることはめったにない!!そしてここタナトラージャでは人間はあの世から来てあの世に戻る、と信じていて葬式は悲しいことではなく、亡くなった人があの世に帰って行く儀式であると。
儀式には全ての人が参加することができ、大きな儀式にはたくさんの水牛や豚が奉られ、儀式の踊りが披露され食事やコーヒーまでも持成される。(葬儀にももちろん大小があるよう)
奉られた水牛や豚は私たちの目の前で斬られ、全ての肉が料理され持成される。

私たちはElni達のおかげで、親族の席に参加させてもらいタナトラージャの葬式を十分に見させてもらった。
通常葬儀は4日間行われるようで、葬儀に奉られる水牛や豚はかなりの高額で、また亡くなってから葬儀が行われるまで葬儀金を集めるのに通常は5年~10年かかるのが当たり前だという。ということは、亡くなった人は???マミーです★亡くなった人の体を腐敗から防ぐのに注射を打ち、お棺に入れて自宅で保管するとのこと。私たちが参加した葬儀のおじいさんは亡くなってからまだ6ヶ月しか経っていなく、早い葬儀が行うことができたと。。。
お爺さんはやっと天国に帰って行けたんだろうな。。。

Tana Torajaは私にとってこれまでの旅でもとっても印象強いところ。もっともっと彼らの文化を知りたかったけど、次回の楽しみに残して、オーストラリアで出会った(自転車の旅をしているJens&Zuzka)友人に会うためにバリへ。。。

Dienstag, 22. Juni 2010

人の価値、恐るべし船旅

7000以上もの島々からなるフィリピン。
ガブと私は片手で数えられるくらいの島にしか行かれなかったけど、地元の人たちも利用している交通手段(ジプニー、バス、船)を利用したので彼らの生活の一部も少しは目にすることができた。

途中で出会ったフランス人のREMI(レミ)と一緒に海沿いに建つ家の庭にテントを張らせてもらい、一泊!朝三人で海を眺めながら話をしていると、一人の年配の女性が私に近づいてきて私の腕をつかみ何か言っている。。。初めは何を言っているのかわからなかったけれど、彼女の後ろにいる子供たちの中の15-16歳くらいの女の子を指して『一人男を譲ってくれ!!この子をもらってくれ!』と。。。
REMIは数日前にも12歳の娘を差し出されたと。

私にとって自分の娘を差し出すなんて。。。なんて思っているけど、それは私には着る服があり、食べ物にも困らず寝る場所もあるからなんだろう。。。娘を差し出す母親も以前、自分の母親にそうされてきたのかもしれない★自分の家族を食べさせるために。
もちろんフィリピンだけではなく、未だにいろいろな国で人の売買が行われているのだろうけど、人の人生を売り買いすること自体、なんて切ないことだろう。。。

ダイビング王国のフィリピンではダイビングには行かず、スノーケリングを満喫☆首都のマニラでは貧富の差を目のあたりにし、考えさせられることが多かった。。。
交通量がものすごく、排気ガスだらけのマニラでは喉を痛めてしまい、フィリピンからコタキナバル(マレーシアのボルネオ)行きの飛行機の中ではついに6年ぶりの高熱が。。。
コタキナバルに到着したときにはヘロヘロでバックパックをどうにか背負い、カウチサーファーの家に。有難いことに一部屋を私とガブに与えてくれて、どうにか翌々日には体調も回復!!

コタキナバルでは有名なキナバル山4095mの国立公園へ★毎日暑くて汗だくだった私たちは久々に山に来て涼しむことができ、体の調子も戻りハイキングを満喫!
ここマレーシアのボルネオ島にも世界で有名なダイビングスポットがあるということで、ガブと私は7年前にオーストラリアで取ったダイビングのアドバンスライセンスを無駄にしない為に、ここで潜れないだろうかと。。。
有名なシパダ島はダイビングのお値段もさすがに観光客向け。。。高い!!そして2004年からはシパダン島への入島制限が始まり、一日120人までと。毎日たくさんのダイバー達がこの入島許可が取れるまで、何日も時には一ヶ月もここシパダン島で潜るために待っているという。。。
私たちもダイブショップを何件か回ったけど、次の入島許可は一週間後であったり、二週間後。。。
しかし最後の一軒で二日後にキャンセルが出たので、二人空きがあるという。。。
ガブと私は6~7年も潜っていなかったので不安もあり、それよりも何よりも私たちにとっては値段が問題!!私たちのこの旅でエンターテイメントに一度もお金を費やさずにきたので、いっぱい悩んだ末このチャンスを逃したら、きっと二度とシパダンでは潜れないかもしれない。。。ということで大奮発!!!!
大きな海がめや小さなサメ、名前は分からないけれど見たこともない色んな色の魚がた~くさん!!

別世界を楽しんだ後は、インドネシア行き(カリマンタン→スラウェシ)の船に。。。二日間の船旅!この船がまたまたすごい!!何がすごいって、船には1500~2000人、そしてものすごい量の荷物に鶏やチャボも。船が出港する8時間前にはすでに船はいっぱい。。。どこに行けばいいのでしょうか。。。??二日間もどこで過ごすの??寝る場所なんてなく、陣取りはいつ行われたのかは分からないけれど私たちの場所なんてまったくない!!とりあえず私たちも船にある小さなレストラン(カップヌードルと飲み物しか置いていない)で待機。

船は以前日本で使用していたもののようで、食券販売機やビールの自動販売機が置いてあり、(現在は使っていないけど)食券の中には焼きそばやラーメン、日本酒があり、何度も生つばゴックン。。。
日本人たちがこの船を使用していた時はどんな感じだったのだろう???トイレも清潔ではなく、順番待ちをしている私たちの前で当たり前のように床で用を足す若い女性も!!そんなトイレで運命の出会いが!!
船で出航を待つこと6時間、私がトイレで順番待ちをしていると一人の女性が入ってきたので、この船には、私たちが購入したエコノミークラスのチケットしかないのかどうか聞くと、彼女はバグースクラスという私たちのチケットの倍の値段もするチケットを購入し、8人部屋のキャビンにいるという。。。しかも、二人分のスペースがあるからおいで!!なんて言ってくれた。。。もちろん無料で!!
ガブを呼びに行って、彼女Elni(エルニ)のお言葉に甘えElniの姉妹や友達に挨拶をし、ずうずうしくも二日間彼女たちのキャビンで寝泊りさせてもらった!本当にラッキー☆★☆
船旅はElni達のおかげでどうにか乗り越えられたけれど、船上は人もゴミも食べ物も色んなものがごっちゃごちゃで足の踏み場もない状態。もちろんアナウンスも全てインドネシア語で私たちには何の情報かも全く分からず。。。

Elniとは片言の英語でやり取りはしたけれど、大体は身体で表現!彼女たちは私たちがハイキング目的で行こうとしている、スラウェシのTana Toraja(タナトラージャ)出身という。彼女達は実家であるスラウェシを離れてマレーシアに出稼ぎに行っているという。Elniのお姉さんは実家に5人の子供が居て、今回は久々の再会みたい。。。
ということで、スラウェシ島到着後も彼女たちと一緒にバスに乗って、さらに5時間の旅。。。
Elniとは電話番号を交換し、みんなともお別れ!
カウチサーファーが見つからなかったTana Torajaでは泣く泣くゲストハウスに泊まることに★
ここTana Torajaは昔からの文化がまだまだ残っているようで、ガブも私もかなり楽しみにしている!!!どんな文化なんだろう???

Sonntag, 9. Mai 2010

★夫婦一年生☆

昨日で夫婦になって一年が経った。。。あっという間の一年だったな~★



と、言う事でさすがに毎日のようにテントで寝泊りをしている私たちも、記念日には宿に泊まろう!!と。

私たちにとってこの旅で一番素敵な宿!!(と言っても、安い宿だけど。。。一泊1300円くらいかな?私たちにとっては大奮発!)なんといっても清潔☆冷房はなく、扇風機だけだけど私たちは大満足★久々に手足を思いっきり伸ばしてゴロゴロと。。。



フィリピンについて、マニラに3泊ほど(カウチサーファーの家に)滞在し、貧富の差を思いっきり感じた三日間だった。。。その後、私たちの目的地(ジンベイザメと泳ぐために)へとバスを乗り継いで10時間ほど。。。このバスも予約ができず、ちょうどフィリピンでは新首相の選挙の時期に当たってしまい、どのバスも大混雑!(地元に戻って選挙に行くらしい。。。)夜の便はすべて満席。ということで、次の日の早朝のバスは?と聞くと大丈夫!!とのこと。。。どう大丈夫なのか分からない!!夜の便のバスだって、大丈夫と言っていたのに満席だし。。。予約できないし!!

どうあがいてもどうにもできないと言うことで、この日はバスターミナルの床で就寝。うるさかった~!!

次の朝、大丈夫だと言っていたバスを待っていると、満席!!とのこと。。。はぁ~????

でも、他にも待っている人がたくさんいる。どういう仕組みなのかは分からないけど、8時間10時間立ち乗りなのか、同じ料金を払い人間もニワトリもチャボも全てがギューギュー詰めのバスに乗り込み8時間後にはどうにか目的地に近づいた。。。

次の日にはジプニーで(アメリカ人がフィリピンを占領していたときに残していった車を利用して交通手段としている乗り物ジプニー)Donsolというジンベイザメと泳げる(観光地となっている)場所へ行き、観光局で手続きをし寝所を探しに。。。全てのホテルがものすごく高い!!テントを張っても言いかと尋ねると、どうにか安くテントを張らしてくれるということで無事に宿も確保!!!!

次の日にはすでにボートに乗り込み、ジンベイザメを探しに。。。
ドキドキ。。。船長の合図でボートから海へ入ると目の前にジンベイザメが!!!
大きな口をあけて目の前に。。。他にもたくさんの人がいたから怖くなかったけれど、一人で泳いでいるときに目の前にジンベイザメがいたら、パニックになって溺れてしまうだろうな~と思いながら、必死にジンベイザメを見失わないように、近づきすぎて邪魔をしないように泳ぐ★
なんて優雅なサメなんだろう。。。本当にきれいだった!!

ここフィリピンではバスにしても船にしても、観光局にしても本当に要領が悪いと言うか、予約もできず十分な情報がまったくない。。。何度もがっかりさせられた★それでも、フィリピン人はこうして暮らしているのだから。。。
車の運転は全体的にものすごく荒く、追越しするのが当たり前のよう。。。
もちろん、日本で生まれ育った私にとって感じてしまうことなのだろうけど★
貧富の差がものすごく激しく、裸足で物乞いしてくる子供たちやマニラの高級マンションに住む人たち。
どうにかならないのかな~??何かできないかな~??
もちろん、フィリピンだけではないけれど。。。

フィリピンからコタキナバル(ボルネオーマレーシア)に行くまで後約一週間。
今後何が待っているんだろう???

Mittwoch, 28. April 2010

☆再会☆

ジョンとの再会の後、シドニーを出た私たちはスベンと会うためにマレーシアに。。。
その前にシドニーから少し南にあるゴールドコーストに3日間、マレーシア行きの飛行機を待つ私たちを家に招いてくれたのは、私たちが自転車でオーストラリアを走っていたときにキャンプ場で出会ったゴールドコーストに住む60歳のNeil(ニール)☆本当にありがたいことに、二日間しか時間のない私たちに彼はゴールドコーストの全てを見せてくれたといっていいほど、色んな場所に連れて行ってくれ(ハイキング、スイミング、カヌー。。。)彼の大切な時間を全て私たちに使ってくれて、私たちの最後のオーストラリア生活を十分に満喫させてもらった☆ありがとう!ニール!!

飛行機ってなんて早いんだろう。。。あっという間にマレーシアに到着し、インドネシアから先に到着していたスベンがダンボールに私とガブの名前を書き、風船を持って到着ロビーで私たちを迎えてくれ、四ヶ月ぶりの再会★
10日間、スベンがスイスに帰国する前にマレーシアで一緒に時間を過ごすことになったけど、さてどうする??自転車のない私たちは他の交通手段を使うことも少し億劫に思ってしまった。。。
でも、10日間では自転車を乗っている時間もないということで、二日間はクアラルンプールでカウチサーファーのところでお世話になることに。(カウチサーファーと言うサイトがあって、無料で寝所を提供していたりと、テントが張れないような大きな都市では私たちがよく利用しているサイト)
クアラルンプールの後は、前回私達が行かなかったところに行こうということで、(スイスには海もないし、スベンも海を満喫できるところ)ということで、マレーシアの南東にあるティモール島へ!!
海もきれいだし、魚もいっぱい見れて最高の場所だった!!しかも私達が節約しているホテルにも泊まらなくてすみ、ホテルの中の庭でキャンプができてスベンは特に大喜び★
本当にお勧めの場所!!家族旅行にもいいと思う!!
ガブもスベンも大満足だった☆まー彼らにとって何が大満足かって、毎日のようにビーチでHappy Hour(ハッピーアワー)と言う時間帯があって、ビールがものすごい安い!!
ということで、スベンとも大満足の時間を一緒に過ごし、またまたしばしのお別れ。
私とガブは、ついさっきフィリピンに到着したばっかり!ここも暑い。。。
バスの中から見たフィリピンの景色は、私が勝手にイメージしていたものとは大きく違っていた。。。
これから何が私たちを待っているのだろう??楽しみ!!

ジンベイザメに会えますように。。。☆

Sonntag, 11. April 2010

やっぱりアジアへ

まだまだシドニーのジョンのところで甘えさせていただいております・・・
自転車を降りてから、あっという間に身体は大きくなるばかり。。。ジョンの家はものすごい居心地がよく、毎日のように外で料理をして、テントで寝ていた私たちにとってはお城のようなところ!!!
蛇口をひねれば水も出るし、洋服も手で洗わなくていいし、テレビも見放題、トイレもあるしシャワーも毎日浴びられる!!!なんて贅沢なんだろう。。。なんといっても、ベットでふかふかの掛け布団で眠れる!!!
でも”慣れ”って怖いもので、一週間も経たないうちに身の回りにあるものがあっという間に”当たり前”に変わってしまう。。。感謝の気持ちも、大切に思う気持ちも忘れてはいけないなぁ~

ここシドニーに来て約三週間、ここから電車で二時間くらいのところにあるブルーマウンテン国立公園にハイキングに行ったり、中華街やシドニーと言えば有名な”オペラハウス”や”ハーバーブリッジ”を見に行ったりと観光客としてもしっかり楽しんでいる★でもやっぱり、家の中でのんびり過ごす事が多い。。。
そろそろ次の行き先を決めなくては!!と言うことでガブと話し合い、ニュージーランドと言う話もあったけど、東南アジアを少し味わってしまった私たちにはここオーストラリアもニュージーランドもすべてが高い!!しかも、どちらかといえばアジアに興味がある!いつかは行きたいと考えているアフリカや南アメリカと言う案もあったけれど、航空券代だけでかなりの出費だし、もう少し旅を続けたいと考えていた私たちにとってはやっぱり、アジアに戻るのがいいのでは??ということでインターネットで安い航空券を探していると、オーストラリアから日本行きの航空券がものすごい安い!!日本よりも近いバリに行くよりも安い!!ということで、家族や友人に会いに一度日本に飛んで東京から大阪方面へ自転車で旅をし、そこから船で中国へ行こうと言う案が強くなったけど。。。
やっぱり今日本に帰国してしまったら、日本こそ物価も高いしバイトもしよう!と言うことになってしまうだろう。。。と二人で悩み、結局日本行きは却下になった★ではやっぱり、バリ??と航空券を探したけど高い!!マレーシア行きが安い。。。どうするどうする??
約三年間旅をしている私たちの友人スベンが旅を止めて、そろそろスイスに帰る!と決断したようで彼が帰国前に前回私たちが別れを告げたマレーシアで再会するのは!?
ということで、シドニーからはクアラルンプール(マレーシア)行きの航空券が高いので、シドニーからゴールドコーストに行き(全てあわせても、このほうが安い)そこからマレーシアに戻ることに決定☆
マレーシアにはスベンがスイス行きの飛行機に乗るまで二週間あるので、それまではまた三人でジャングルハイキングに行ったりと一緒に時間を過ごす予定で、その後私とガブはジンベエザメと泳ぐためにフィリピンに行くことを決定!!ちょうどジンベエザメのシーズンであるのと、フィリピンにも行ってみたかったし、この機会に行こう!!と。。。
もちろん、どこに行くときも治安情報とかをしっかり入手しているけれど行ってみなくてはわからないこともある。。。周りの人にカンボジアは危険だ、タイは危険だ、マレーシアは危険だと言われていたけど、日本のほうが危険なんでは???と思うことがたくさんあった。
旅を続ける上で、しっかり情報を得て気をつけなければなぁ~と!!
後数日、ジョンに甘えて極楽ベットでゆっくり眠らせていただきます★
またどこかの国でまた自転車を走らせるかもしれないな。。。

Dienstag, 23. März 2010

坂地獄を乗り越えて!!!

ついに到着!!!私たちの目的でもあった友人ジョンに会いにシドニーにようやく到着!!!
予定よりもかなり時間がかかってしまったけれど、車が壊れたおかげでたくさんの人たちにも出逢え、いろんなものを目にすることができた。。。
ただ、平地だと思っていたオーストラリア、私の大きな間違え!!!特に私たちが自転車の旅を始めた地点からは丘あり山あり。。。
最後の一週間くらいは毎日坂地獄に見舞われた!!!!でも、かなり鍛えられたな。。。何のため??
自転車は一つの交通手段で本当に自己満足にしか過ぎないし、毎回もう十分。。。と自転車こぎながら思うけど、ガソリンもいらないし、色んなものを目にすることができ、たくさん食べ過ぎてもお腹の肉を普段よりは気にしなくても良い!!
でも、ここシドニーでは気をつけなければ。。。到着して2日目、すでにお尻がぶくぶくと。。。

しばらく、ジョンの素敵な家で甘えさせていただき、次の旅路へ向かう予定!!!

言葉

今年の1月、パースでニュースを見ていると日本人が鯨猟でオーストラリア近郊の海で暴れていると。。。恥ずかしい話、私自身が日本人は鯨を食にするということを知らなかった。。。
以前から、オーストラリアは日本人の鯨猟に強く反対していたようだけど、このニュースをきっかけに更に多くの人たちが大批判!!
自転車をこいでいる途中、農場の横(道沿い)に日本の国旗が大きく掲げられていたので、てっきり私は日本人が農家をやっているのかなーと思いつつその横を通り過ぎてみると、国旗の上に大きな文字で”止めろ!!!鯨猟”と。。。

私たちが旅中にお世話になっている”カウチサーファー”と言う、無料で寝どころを提供しているメンバーがあり、そのメンバーの一人65歳の男性の家でカンガルーの肉を夕飯で食べることになり(オーストラリアではスーパーでカンガルーの肉が手軽に手に入る)、食事をしているときに他のメンバーたちも居るみんなの前で、”オーストラリア人は日本人みたいに鯨は食べないけど、カンガルーは食べるんだよ!カンガルーはたくさんいるからね!”と。。。どんな意味で言ったのかは本人にしか分からないけれど、少なくとも私自身や周りに居た人たちには罵声にしか聞こえない。。。彼自身もノルウェーで鯨を口にしたけど、”あんなの食べれたもんじゃない、おいしくない!”とも言っていたけど。。。
素敵な言葉をありがとう。。。と言いたかったけど、ここでは我慢!
みんなそれぞれいろんな意見があるだろうけど、その言葉一言でどんなにがっかりさせられたことか。。。
私自身も鯨猟には反対。インターネットとかでいろいろ調べてみると、鯨は昔の人たちの食の一つであったこと。日本人の食文化。でも、現在では鯨は絶滅状態ではないけれど数が少なくなっていることには間違いない。そうなると保護するべきでは!と。。。日本全体はどう考えているんだろうか。。。???

オーストラリアに旅行に来る日本人はたくさん居る。しかも”ホウェールウォッチング”を目的に観光する人もたくさんいるだろうけど、特にここオーストラリアで日本人がホウェールウォッチングなんて参加したら。。。

Donnerstag, 11. März 2010

自転車の旅 パート2???

私たちの車が壊れた!!!分かってはいたけれど、本当に止まってしまうとは。。。
観光地で有名なグレートオーシャンロードで、しかも交差点の真ん中で止まった。。。★でも、とてもラッキーなことに、私たちの車の何台か後ろにいた旅行中のオーストラリア人がそこから300m程先にあるサービスステーション(小さなガソリンスタンド&修理工場、これもラッキー)まで車ごと引っ張ってくれた☆
アレンという人の修理工場で(ここも小さな町、Port Campbell)、私たちの車を見てくれるまで町を散策。車に戻ると、予想通り修理にはかなりの時間とお金がかかるという(タイミングベルトとかの中心になっているボルトが壊れたみたい!)600000kmも走った車だもん、仕方がない。私たちの答えは、修理しないで私たちの車とはここでお別れ。。。次の交通手段を考えるということに☆
その日からアレンと奥さんのアンに助けられ(食事やシャワー、洗濯もさせてもらった。。。)サービスステーションに止まった私たちの車で寝泊りすることもできた。
車が止まったその晩にガブと話し合い、どうやって私たちの友人のいるシドニーまで行けるかと。。。ヒッチハイク?歩き?バス?シドニーまではまだ3000km弱ある。
自転車は???という私の一言にガブが反応し、もし自転車を手に入れることができたなら。。。ということで、アレンとアンに話してみると、この小さな町に自転車屋さんはない!!!!と。
ここでまたまた、ラッキーなことに次の日にアレンがPort Campbellから70km戻ったところにある大きな町に行く予定があるということで、私たちも一緒に連れて行ってもらうことに☆オーストラリアは東南アジアと違って、自転車ももちろん高い!自転車屋には中古自転車を扱っているところは少ないという。。。でもいちかばちか、アレンが用事を済ませる二時間の間にどうにか見つかれば!と。自転車屋さんを回ると一軒だけ中古の自転車があって、自転車の状態も良さそう!後30分以内に決断しなければ。。。”買おう!”ということで、大きな町でしか手に入らない自転車の旅に必要な最低限のものを急いで探して購入☆(バックパックを乗せられる竹の棒や、パンクを直す道具など。。。)
と、どうにか最低限のものと二台の中古自転車を二時間でそろえ、私達自身がびっくり!!!本当に自転車を見つけ、購入。。。アレンもアンもかなり驚いていた!本当にラッキーだと☆★☆
早速、バックパックを載せる荷台や小物を入れるバスケットなどの準備に取り掛かり、ガブはアレンから車のオイルが入っていたコンテナをもらい、よく洗い半分に切ってバスケット代わりに。。。でもオイルの匂いがまだする。。。バックパックを雨から守る袋はアンが園芸用のゴミ袋をくれたので、私はゴミ袋にバックパックを入れることに!(オレンジ色だから、目だって車にもよく見えるはず!!)と、車が止まって次の日に自転車を購入&準備☆
車に合った荷物はアンとアレンが引き取ってくれ、車もそのまま置いてOK!と。。。なんて人たちなんだと。。。本当に感謝☆感謝★感謝☆ナンバープレートだけをパースの友人に(車の持ち主だったカール)郵送。
車が止まって二日後には自転車での旅がスタート!!!!
まさかこの大きな国、オーストラリアで自転車の旅が始まるとは。。。と、自転車の旅が始まってすでに一ヶ月以上が経ち、この国の大きさを体で思う存分感じ、東南アジアとは違い食料も全て持ち運ばなければいかず、道もかなりの坂道が。。。台風にやられたりと辛い日もあるけれど、のんびりと走っております☆
途中、ガブの念願だったサーフィンもすることができ、25kmハイキングに行ったり、コアラを見て癒されたりと。。。
楽しいこと、嬉しいこと、辛いこともたくさんあるけれど、こんな時間が持てるということに本当に感謝☆お金持ちではないけれど、時間があり、こんな風に過ごせるんだもん、幸せものです!!!
ガブとも話していたけど、ガブと今は24時間一緒に居るけれど、こんな時間が持てることもとても貴重なことだと。。。お互いをもっと知り、もっともっと一緒に楽しめたらと!
シドニーまで後、約300km(途中、バスも利用)!!!とにかく無事にたどり着ければいいな☆

Sonntag, 7. Februar 2010

私たちの家

久々に日本語が打てるパソコンに出会えた!!
自転車とスベンにはマレーシアでお別れして、クアラルンプールからオーストラリアの西側パースへと飛行機で飛びました★
ここパースは2003年にガブと私が出会った場所☆私たちの親しい友人、ジョン(John)に会うためにオーストラリアに戻ってきました!!!ジョンは現在、パースとは反対側のシドニーに住んでいるけれど、彼の大家族と私たちとクリスマス&新年を祝うために、彼もパースへとやってきてくれた★
ガブと私は、ジョンのお兄さんカールの家に滞在させてもらった。。。しかも、一ヶ月も。。。
クリスマスパーティーも新年もジョン家族と一緒に過ごし、久々の家&布団&洗濯機。。。そして台所。。。私たちにとっては、とっても贅沢な生活をさせていただきました☆
東南アジアの物価と比べたら、ここははるかに高く、私たちにとって寝どころや料理ができる場所があることが本当にありがたかった!!!!ジョン、そしてカール家族に本当に感謝!!!
カールは郵便配達をプライベートでやっていて、配達用の車もすべて自前!しかも、その車はすでに580000kmと私たちには信じられないほどの距離を走っていた・・・
先にシドニーに帰っていったジョンにもう一度会うために(もちろんオーストラリア観光も目的で)、私たちは電車やバス、飛行機やレンタカーを調べたけれど全て高い。。。飛行機が一番安い手段ではあるけれど、それでは何も見ることができない。。。と私たちが考えているときに、ちょうどカールがその古い車を買い換えなければ(仕事上)いけないということで、もし頂けるのならば。。。と、最低限のメンテナンスをし(タイヤは全て交換し、もちろん金額はかかったけれど)、カールたちの要らなくなった古いガスコンロやマットレス、お皿やナイフ&フォークもいただき、車のカーテン代わりに古い枕カバーをホチキスでつなぎ合わせ(縫ったところもあり)私たちの新しい家は完成!!!!
ものすごい古い車だから、いつ止まるかは分からないけれど、せめてジョンのいるシドニーまで!!!と願いを込めて、一ヶ月もお世話になったカールたちとお別れをして、1月23日にいよいよパースから脱出☆
早速、旅の初日の夜、ビーチの駐車場で寝床に着こう思っていた夜8時ころ、レンジャーが来て”ここは、キャンプ禁止!”とのこと泣く泣くカンガルーが飛び出してきそうな夜道を、ゆっくりと走り、その晩はどうにかそこから13kmほど先の場所に車を止めて寝床に着きました。。。
それからは毎日、どうにか寝どころを見つけて(もちろん無料の場所です!)スパゲテイーやカレーを自炊しながら、大きなオーストラリアを走っております☆
もちろん寝心地はバッチリ!!!
ちょうど、四日ほど前に寝どころを探していて”Memorial Rest Area"という場所を見つけたかったのだけど、なかなか見つからず”Memorial Park"という看板を見つけたので、その場所に車が入ったとたん、私たちの家(車)が動かなくなってしまった。。。
その”Memorial Park"は休憩場所でもなく、お葬式をやる場所だった☆(お花がたくさんあってものすごいきれいな場所)車はどうにもこうにも動かなく、その葬儀場の親切なおじ様が私たちを助けてくれて、身も知らない私たちを庭に二晩、車が動くようになるまで(もちろん、車修理工場に送り迎えもしてくれました)おいてくれました★本当にありがたい!!!
無事に車も動くようになり、今は出発したパースよりもすでにシドニーに近いアデレードに来ました☆近いといってもまだまだだけど。。。
とにかくのんびりと、安全運転で楽しくジョンにあえれば!!!と。。。って、ほとんどガブが運転していますが。。。